2010年11月26日金曜日

紙片が宝に変わる瞬間(とき)を目撃してきた~全史料協テーマ研究会参加記

事務局2号です。
平成22年11月24日(水)~25日(木)京都府民総合交流プラザで行われた「全国歴史資料保存利用機関連絡協議会」(全史料協)の二日目に参加してきました。

全史料協京都大会のページはこちら

今回の全史料協では、同志社大学企画部の井上真琴氏がテーマ研究会のなかで「目撃せよ!紙片が宝に変わる瞬間(とき)―図書館員のアーカイブ資料探検―」と題して同氏が同大学所蔵の竹林熊彦(および田中稲城)の史料整理をされた経験をもとに非常に興味深いお話をされており、また図書館史のなかでも非常に重要な内容だったため、本ブログに参加記という形で内容を簡単にご紹介させていただきます。

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井上氏はまず、同志社大学には田中稲城、竹林熊彦、さらに同志社図書館学講習所の関係文書等が未整理のまま保存されており、かつては図書館史研究者の求めに応じて必要な資料を探して提供していたが、その整理は課題としてずっと残っていたと紹介した。またその理由として、記録資料と出版物整理の「文節化」の違いが大きかったと指摘した。

すなわち、出所・原秩序尊重・原型保存・記録といった記録資料整理の四原則は図書館資料の整理とは全く異なるものであり、また目録記述の考え方も異なっていて、図書館員の側に、記録資料を扱うノウハウが未成熟だったことに大きな問題があるというわけである。

そこで井上氏は国内大学アーカイブズ、さらに米国・英国の大学アーカイブズを視察し、研修を受講した。とくに海外のアーカイブズでは、社会科教員の教材作成にアーカイブズ資料がどのように活用できるか、専門のアーキビズトがつきっきりで相談に応じる場を目撃し、非常に大きな衝撃を受けたという。

以上のような経験を踏まえて、同志社に残る文書を整理するためにどのような方法を考えたか。職員が手のあいた時間で整理しきれるレベルではない。そこで採用したのが、業務委託とコンサルタントの活用である。業務委託するのは、いつまでに終わらせるかを明確にするため。業務委託である以上、綿密な仕様書の作成と工程表の管理が必須となる。図書整理の外注業者は複数存在するが、アーカイブズの整理が出来る外注業者は存在しない。そこで、記録資料整理に専門的知識を有するコンサルタント(国際資料研究所の小川千代子氏に依頼)を組み合わせることで、この課題をクリアしようと試みた。業務途中で作成される往復のFAX等はすべて記録として残し、マニュアル化に役立てた。

資料は記録資料整理の原則に沿って階層化することにした。また保管にあたってはドキュメントボックスを用い、一点一点をフォルダに入れて管理した。井上氏はこれに加えて、この過程で、初期の『東京大学史紀要』等に載せられた論文・インタビュー記事が非常に役立ったこと。大学史編纂の苦闘記から、多くの事を学んだことを述べられた。

作業にあたり注意した点は、以下の通りである。
①まず対象資料に対する基本的な知識を習得すること。ただしその際、周辺知識の深化は避ける(いつまで調べても終わらないから)ことも心掛けた。
②散逸を防ぎ存在を告知する形でInitial inventory(初期目録)をきちんと作成することとした。
③さらに利用を意識した整理を行うこと(目録情報には翻刻もつけられるものはつけたとのこと)
④個人情報の扱いについて。これは今も名案はない。80年以上前に亡くなった田中稲城に関してはプライバシーの問題は少ないと思われたが、『図書館雑誌』に活動紹介を載せ、公開に先立ってもし問題がある場合には下記あてに連絡を、と呼びかけることにした。
⑤利用リテラシーに関する啓発活動を行うこと。アーカイブズ利用に関しては一定のリテラシーが必要とされることは明らかなので、その啓発にも取り組んだ。

こうしたアーカイブズ・リテラシーの啓発は、なお解決途上の課題でもある。ディジタル化し公開されたデータベース(ディジタルアーカイブ)は、必ずしも記録資料整理の原則にのっとった形で公開されていない(作業を担当した研究者が自らの基準で構築していることもある)ので、どういうときに何を見ればいいか、十分に伝えられていない。たとえば作業担当者は、岩波日本思想大系別巻の近代史料解説を見ながら、刊行図書の年譜記述の誤りを発見するなどして、具体的な検索方法を知り、公文書の扱いに習熟して行った。

ただ、同志社には図書館のほかに社史編纂のセクションもある。井上氏は、教養科目の講義のなかでディジタルアーカイブの適用も試みる事例を紹介しつつ、まだうまくいっているとは言い難いとし、こうしたなかで少なくとも大学内の「内なる」MLA連携をどうすればいいかを模索している段階だと述べて、報告を終えた。

質疑応答では以下のようなやりとりがあった。
Q:点数及び作業担当者、作業日数はいかほどか。採用にあたり特別な条件を課したか。
A:対象資料は約3000点(うち1600点が田中稲城関係)。実際の作業担当者は、歴史に一定の知識を有する者で、月~金、9:00~17:00で2年間働くことが出来るものを1名採用し、作業にあたった。
Q:実際に整理を終えて図書館内からの評価はどうか。厳しい意見などもあるか。
A:レファレンスが大変になったという消極的な意見もあるが、かなり難しいアーカイブズ資料が、ほぼ素人の図書館員でも出来た。ずっと未整理だったものがきれいに見られるようになったことに対する肯定的な意見が多い。ディジタルアーカイブ化することで、家で下調べしてから見に行くことができると利用者からの反応もよい。
Q:作業者はどこまで担当したのか。歴史系の学生を採用したとのことだが、システム的な知識も必要となるのではないか。
A:作業者は資料の掃除、袋詰めから、エクセルのデータ項目表に記述し、csvファイルを出力するところまでやった。今の若い人なら、この程度のエクセルの作業は難なくこなせる。
Q:予算措置などかなり難しい面もあったのではないか。
A:これは長期的な計画でやったこと。図書館員にはこの手の交渉が苦手な人が多いが、極端な話、2人で1年1000万円つけろというのを1人で2年、500万円ずつ、といえば説明がしやすくなる。当初10年くらい提案し続けて重要性を説く必要があるとも思っていた。大事ならば辛抱強く、実現に向けた戦略を立てねばならないのではないか。
Q:同志社の組織アーカイブズはどうするか、もし現時点で図書館の側からのお考えがあれば。また図書館の立場からアーカイブズへの注文があればぜひお聞きしたい。
A:一点目は非常に大きな問題だが、大学内で組織全体を巻き込む形で文書の保存年限を決めるリテンション(保存期間)・スケジュールを作成する必要があると認識している。ただ、全体で急には難しければ、まずは図書館からということで始めたい。また2点目については、報告内で指摘したアーカイブズ・リテラシーの啓発の問題と関わるが、どこに何があるかがわかるのが重要。図書館でいうところの総合目録の構築などが必要なのではないか。

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参考文献(2010/11/27追記)

  • 井上真琴,小川千代子「アーカイブ資料整理へのひとつの試み : 同志社大学所蔵田中稲城文書・竹林熊彦文書の場合」『大学図書館研究』no.77(2006.8)p.1-11
  • 井上真琴,大野愛耶,熊野絢子「公開なった田中稲城文書(同志社大学所蔵)--日本近代図書館成立期の「証言者」たる資料群」『図書館雑誌』99(3)(2005.3)p.170-171
  • 井上氏が紹介されていた同志社大学学術リポジトリ・竹林文庫のディジタルアーカイブはこちら


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井上氏の報告はパワーポイントで実際の史料スライドを交えながらの非常に興味深い報告でした。
同志社が田中稲城帝国図書館長の文書を整理したように、図書館史研究もそろそろ刊行物だけには頼りがたくなってきているように思うので、井上氏の言われた「アーカイブズ・リテラシー」について意識しながら必要な情報を集め、また本ブログでも取り上げていければ、と思っています。

※1 いずれ公式な記録も出るのだと思いますが、本参加記は、図書館史関連情報の観点から井上報告の紹介を試みたものです。井上氏が提示された問題や提言の全てを網羅しきれていないと思いますが、ご容赦ください。
※2 質疑応答を一部追記しました。yuko_matsuzaki様、archivist_kyoto様ご指摘感謝です(2010/11/27)。

2010年11月18日木曜日

第5回勉強会(2010年11月13日)報告

『図書館を育てた人々 日本編I』を読む(4)
廣庭基介「関西文庫協会の創始者:島文次郎」

日時:2010年11月13日(土) 14:00〜16:30
会場:京都商工会議所
発表者:江上敏哲(国際日本文化研究センター)
出席者:12名

京都大学初代附属図書館長だった島文次郎について、江上氏から詳細な文献紹介とともに報告をいただいた。島については廣庭基介氏が詳細な研究を行っており、これと『京都大学附属図書館六十年史』(京都大学附属図書館、1961)が島の事績を尽くしているとも指摘された。また、大学院を出たばかりの島を抜擢し図書館経営にあたらせた総長・木下広次についても興味深い紹介がなされた。報告はさらに一般公開を目指した島の軌跡、関西文庫協会の活動報告等にも及んだ。

主な質問・議論の要旨は以下のとおり。
  • まず、島の史料について質疑があり、報告者から研究の上では廣庭氏が大きな位置を占めている。氏は三代にわたって京大の事務員をされてきた方で、あらゆる史料を把握していると指摘があった。また京都大学文書館に木下の史料も残っていることが紹介された。
  • なぜ島だったのか、という疑問は残るが、帝国大学の卒業生のステータスが相当に高かった時代のことでもあり、極端に異例の人事とまではいえないかもしれない(この点については、議論のなかで、漢学の素養のある家系に生まれ、英文学を修めるというコースをたどった彼は、和漢書・洋書とも理解できる彼が嘱望された、という可能性が示唆された)
  • 法科と島との対立していた時期があるのが興味深い。関西文庫協会の活動にも影響を与えているし、商議会で島が提案した議題は、島が退任してからすんなり通っているという事実もあるようだ。
  • おそらく、島という人の功績は「古典籍」の保存にあったのではないか。年表を見てもかなりの頻度で文書調査に出かけている。
  • 法科の批判にさらされながら奮闘する島の姿には、デジタル化の推進が唱えられるなかで、古典籍の保存をどうしていくかという今日的な課題を考えるうえでも学ぶべきものがありそうだ(さらに、京大図書館に多く残っている「古文書謄写」とも関係がありそうだとの指摘あり)。
  • 島の一般公開に賭けた情熱と周囲の期待については、まだ府立が開館していなかったという背景も踏まえて評価して行く必要があろう。特別閲覧証の交付条件が非常に面白い。戦後の図書館の理想像からみると「一般公開」には程遠いかもしれないが、かなりの数の人が交付されていたようなので、当時としては画期的で、成功したとさえいえるのではないか。

今回は会始まって以来の最多の参加者を迎え、活発な議論が展開された。

終了後は懇親会が行われた。