2011年12月4日日曜日

第10回勉強会(2011年12月3日)報告

「書物としての三国志」
日時:2011年12月3日(土) 14:00〜17:00
会場:キャンパスプラザ京都第1演習室
発表者:長坂和茂

今回の発表では、日本で広く読まれている三国志について、正史の成立、演義の成立、各版本の系統から日本における受容まで、大きな視野から紹介がなされた。
当日の参加者を中心とするtwitterでの言及のまとめはこちらを参照。
以下に概要を紹介する。

零.前提知識
三国時代は184年の黄巾の乱から280年の呉滅亡までをいう。名目上は、229年孫権が皇帝を名乗り、呉を建国してからが三国時代ともいえるが、そこから234年の諸葛亮没まではわずかしかなく、三国志関係の創作ものはそれ以降をほとんどおまけとして扱う。見方によっては三国志のハイライトは、三国時代になる前にほとんど終わっているともいえる。三国志(正史)の撰者は晋の陳寿、これに劉宋の裴松子が注をつけた。紀伝体で書かれたものである。

一.陳寿本文について
三国志撰者である陳寿(ちんじゅ、233-297)は、元々蜀の人。蜀滅亡後に魏にわたり、魏晋革命により晋に仕える。生まれた翌年に諸葛亮が没しており、ほぼ同時代の歴史として三国志を編む。そのような立場なので、漢・魏・晋を正統の国として評価するが、曹操が不徳であることを示す為に、欠点のある人物として描く。劉備はかつて仕えていた国の人なので、悪く書けないが、蜀正統を打ち出す事も出来ない。孫権については、魏から見れば賊であり、蜀漢から見てもせいぜい同盟相手なので、呼び捨てにされている。司馬炎は今現在仕えている皇帝なので命にかかわるため批判が書けない、等々のバイアスがかかっていることを踏まえないといけない。ただ、その後唐代に書かれる晋書のような国家プロジェクトでなく、陳寿個人の著作として書かれたものでもあるので、避諱など厳密でないところもある。三国志は全65巻からなり、魏志が30巻、蜀志が15巻、呉志が20巻。

二.裴松子注について
裴松子(はいしょうし、372-451)はもともと魏に仕えていた一族で、西晋・東晋を経て劉宋に仕える。陳寿本文がごく簡潔な記述に止まるため、文帝から命じられて、裴松子が注の作成を命じた。裴松子注はとにかく資料を集めて引用するもので、引用した資料は200以上と言われる。またそのうちのほとんどが散逸してしまっている。引用元の書名か著者が書かれているので、引用されている記述のバイアスがある程度推測できる。また、出典が書いてあるので、『諸葛亮集』など、散逸した資料の復元に使われている。歴史小説の素材にもなる。後漢書で三国志と重複するものの出典を確認するために使う、等々の利点がある。

三.刊本について
三国志の現存する刊本で最も古いものは紹興本、紹熙本。このほか呉書だけだが、咸平本(実際は北宋末か南宋初頃と推定される)などがある。紹熙本は宮内庁書稜部所蔵(1~3巻を欠く)。咸平本呉書は静嘉堂文庫所蔵。なお中華民国期に編まれた百衲本二十四史では、書稜部の紹熙本が使用されている。なお、清代考証学の成果として色々な学者によって唱えられた説をまとめた三国志集解(しっかい)もある。

四.歴史から小説へ
三国志は六朝時代に入ると、老荘思想などの影響もあって小説・講談で語られるようになった。そうした講談の種本をまとめたのが三国志平話。中国で散逸してしまっていて、現在は内閣文庫にあるものが「天下の孤本」。このほか、関羽の架空の息子が活躍する花関索伝があり、これの発見によって、三国志演義の版本の研究が進む。民衆に人気があった。ここから、荒唐無稽な内容や、大幅に史実に反する内容を排除し、士大夫の読み物に仕立て上げたのが、羅漢中(らかんちゅう、生没年不詳。元末明初の人)の三国志演義である。

五.三国志演義の刊本
三国志演義の版本には、嘉靖本、周曰校本、李卓吾本、毛宗崗本(毛本)がある。毛本は、現在演義の翻訳として販売されているものの底本。また李卓吾本は、日本での湖南文山の通俗三国志の元となり、これが吉川英治、横山光輝を経て現在に流布している三国志イメージを作っている。日本人が知っている三国志エピソードを中国人が知らないのはこのためでもある。

六.日本における受容
三国志が中国語以外の言語に翻訳されたのは、清初の満州語訳が最初と言われるが、日本でも元禄年間に湖南文山が李卓吾本を底本として翻案・翻訳した『通俗三国志』が出された。毛本をもとに翻訳したのは1912年の久保天随による『新訳演義三国志』が初。1930年代の流行の背景には戦争の影響がある。また、1970年代の日中国交正常化の影響も大きい。横山光輝が、国交正常化でようやく資料が入ってきたため、関羽・張飛の武器の設定変更などを行なったのはその一例。1990年代には、ちくま文庫から正史が刊行されたため、ブームは演義から正史へ。サブカルとの融合も進みながら現在に至っている。

主な質疑とその応答は以下の通り。

  • 版本で一番古いものは原文のままなのかどうか。→最近、トルファンで発見された呉書の残巻など、晋~唐代ころのものと思われる巻と紹熙本を比較すると、若干異同があり、実は文字が少し変わっているのかもしれない。だが量が少なく、これからの研究にまつところが大きい。
  • 陳寿が蜀漢を重視しているのに、蜀志の巻数が一番少ないのは何故?→劉備が史官を置かず、記録が曖昧なのが原因。劉備流浪時代の記述が少なすぎる。曹操の不徳を批判し、蜀を讃えるならば、赤壁の戦いで曹操軍を破ったことなどアピールできるのに書かれていない。
  • 最古期の版本が日本にあるというのは、国内?世界的に見て?→これは世界的に見て。戦乱が続く中国で散逸してしまったものはかなりある。
  • 花関索伝で演義の研究が進んだというのは?→関羽の三男とされている関索が実在したのかどうかという長い論争に決着がついた。このほか演義に登場し、正史に登場しない人物が実在したのかしなかったのか、創作なのかどうかについても、研究が進んでいる。

このほか、サブカルへの融合を考えると、NHKの人形劇も重要では?といった意見も出された。
終了後は忘年会が行なれ、今年の関西文脈の会はマクロに始まりマクロに終わったという意見が出された。

2011年10月17日月曜日

第10回勉強会のお知らせ

下記の日程で、第10回の勉強会を開催いたします。
御多忙のところと存じますが、ご参加をお待ちしております。

日時:12月3日(土) 14:00~
会場:キャンパスプラザ京都 第1演習室
※会場へのアクセスはこちら

今回は、テキストの輪読はありません。

発表者:長坂和茂氏
タイトル:「書物としての三国志 -歴史(history)から物語(story)ができるまで-」


会場費は参加者で割りたいと思いますのでご承知おきください。
差し入れ歓迎いたします。

また、終了後、少し早いですが、
関西文脈の忘年会も合わせて行なえればと考えています。
土曜日は忙しいが夜の部だけでも…という方がいらっしゃいましたら
お気軽に事務局<toshokanshi.kansai @ gmail.com(@は半角)>までご相談ください。
(※メールアドレスを誤って記載していたため修正いたしました。大変申し訳ありませんでした)

twitterアカウント@k_context宛にご連絡いただいても構いません。

どうぞよろしくお願いいたします。

2011年9月12日月曜日

第9回勉強会(2011年9月11日)報告

『図書館を育てた人々 日本編I』を読む(6)
石井敦「民衆のサービスに徹した人:佐野友三郎」
日時:2011年9月11日(日) 14:00-17:00
会場:京都商工会議所第一会議室
発表者:佐藤久美子
出席者:12名

今回の発表では、日本公共図書館史のなかで続々と先進的なサービス導入に尽くしたとされる佐野友三郎(1864~1920)について、年譜を中心に佐藤氏から報告いただいた。佐野は前橋藩士の子として生まれ、群馬中学を卒業後、東京大学(のち帝国大学)に入学するが、卒業試験に際し外国語の教師と折り合わずに中退。米沢・大分で中学校の教師をした後、台湾総督府民政局に事務館として赴任する。秋田県知事の武田千代三郎の抜擢で秋田図書館長に就任すると、巡回文庫や夜間開館等様々な改革に着手した(1900~1902)。さらに彼の手腕は1903年に山口図書館長に移ってからも発揮された。
とかく佐野は著作が多く、また、図書館史のなかで言及されることも多いが、個々の業績についての評価が多く、参加者からは今回やっと全体像がわかった、という声も聞かれた。
 佐野についてはこちら(wikipedia)
 また、twitterによる当日のつぶやきのまとめはこちらをご参照ください。

主な質問・議論の要旨は以下のとおり。
  • 佐野の仕事は非常に多岐にわたっているが、彼の主要な業績というと何になるだろうか。巡回文庫、開架、児童サービスといったところかという質問があり、分類も加えるべきとの意見が出た。
  • 台湾総督府時代に行った調査業務経験が、佐野の文献収集に対する考えに大きく作用しているのではないか。佐野について書かれたもののなかには総督だった乃木希典や児玉源太郎らに可愛がられたという記述があるようだが、ほかに後藤新平とも縁があるのかもしれない(これについては、中京大学社会科学研究所から『領台書記の台湾社会』という資料集が出ており、そのなかに佐野の書いた報告書が収録されている旨、参加者から補足があった)
  • 佐野は何故矢継ぎ早にこれだけ色々なことができたのか、という疑問が出、報告者から、文献には「性格に慎重なところがない人であった」という人物評があることも伝えられた。
  • 何故佐野がこれだけの業績を挙げられたのか、という疑問について、テキストの石井氏は「確固たる図書館思想」を持っていたからだ、という。ところが佐野は図書館の素人として迎えられ、秋田でも地元の人の補佐なしではとても仕事が出来ない状態だったことが年譜からわかる。とすると佐野の図書館思想はいつ形成されたのか。論理が混乱していないか。佐野は思想家というより実務家であって、その人が試行錯誤しながら成功事例を積み重ねて理論を作ったというほうが、実態に即しているのではないか。佐野というと『米国図書館事情』が有名だが、佐野が実際に渡米するのは、田中稲城のように館長になる前に実地を見てくる形ではなくて、館長としての仕事が軌道に乗った第一次世界大戦中(佐野にとっては晩年)の事柄に属するので、いずれにせよ「確固たる図書館思想」から佐野を評価することは慎重になったほうがよいと思われる。
  • 石井敦氏による評価を要約すると、佐野は後進地域で、貧農やプロレタリアではない層に向けてサービスしたから成功した、と書いてあるが妥当なのかという疑問が出され、石井氏の見解についてはその後山口源治郎による批判が出、両者の間で意見のやり取りがあったと補足があった。
  • 後に共産党幹部となった長男佐野文夫の行状について、資料が法政大学図書館に残されており、佐野の旧蔵書も一部あるらしいという情報が寄せられた(『日本図書館文化史研究会ニューズレター』103号に、同文庫について発表された小川徹氏の報告要旨が掲載されています。9/17追記しました。K_y0ne1さん情報ありがとうございました)。また、佐野文夫と菊池寛との関わりについても質問が出た。
  • 佐野の交友関係について。和田万吉や太田為三郎と同級生だったというが、日図協などで交流しているのかどうか。また亡くなったときの追悼文を沢柳政太郎が書いているが、図書館関係者では誰か書いていないのか。佐野は田中稲城に師事して色々指導を受けている関係で、手紙なども残っているようで親しさが伺われる。
  • 佐野の思想に関連して、そもそも日本の図書館界では何故これほどまでにアメリカを参照軸とするのか。何故選ばれたのか。という大きな疑問が出され、意見交換がなされた。
終了後は、懇親会が開催された。

2011年8月2日火曜日

新たな図書館・図書館史研究

日本の図書館史ではなく、米国の公共図書館史に関するものですが、目次をご紹介しておきます。
(とりあえず、章レベルで。時間ができたら、節まで入れます。特に第I部は節まで入れないと、あまり意味がないので…。/8月3日追記:第1章、第2章の節レベルを追記しました。/8月7日追記:3章以降、残りの節レベルを追記しました。)

川崎良孝・吉田右子『新たな図書館・図書館史研究 批判的図書館史研究を中心にして』
京都図書館情報学研究会(発売:日本図書館協会), 2011.9. xxii,402p.

  • はじめに
  • 第I部 図書館史研究の歴史的展開
    • 第1章 第1世代の図書館史記述:単館史、記念誌の時代
      • 1節 ジョサイア・クウィンジーの図書館史記述:単館史、記念誌の源
      • 2節 ホーレス・スカダーと1876年『特別報告』:単館史の寄せ集め
      • 3節 ジョシュア・W.ウェルマン:客観的図書館史記述からの離脱
      • 4節 モウゼズ・C.タイラー:非歴史的な図書館史記述
      • 5節 ウィリアム・I.フレッチャー:第2世代の図書館史研究への架け橋
    • 第2章 第2世代の図書館史記述:革新主義図書館史学
      • 1節 シカゴ学派の図書館史への取り組み
      • 2節 ジェシー・H.シェラと図書館史の業績
      • 3節 ジェシー・H.シェラ『パブリック・ライブラリーの成立』:社会的要因理論
      • 4節 ジェシー・H.シェラ『パブリック・ライブラリーの成立』の背景
      • 5節 シドニー・ディツィオンと図書館史の業績
      • 6節 シドニー・ディツィオン『民主主義と図書館』:民主主義的伝統理論
      • 7節 シドニー・ディツィオン『民主主義と図書館』の背景
    • 第3章 第3世代の図書館史記述:修正解釈派の図書館史解釈
      • 1節 第2世代の図書館史解釈とその問題点
      • 2節 マイケル・H.ハリスと図書館史研究I:文化史研究とビブリオグラフィー編纂
      • 3節 マイケル・H.ハリスと図書館史研究II:修正解釈
      • 4節 マイケル・H.ハリスの図書館史研究の背景
      • 5節 マイケル・H.ハリスの図書館史解釈:ボストン公共図書館設立の思想
      • 6節 ディー・ギャリソンと図書館史の業績
      • 7節 ディー・ギャリソン『文化の使徒』:女性化理論
      • 8節 ギャリソンの図書館史研究:意義と限界
    • 第4章 第4世代の図書館史記述:研究の広がりと深まり
      • 1節 第2世代と第3世代の図書館史研究:意義と問題点
      • 2節 第4世代(1985年-)の図書館史記述:背景
      • 3節 第4世代(1985年-)の図書館史記述:特徴
      • 4節 第4世代の図書館史研究:新しい業績と方向
  • 第II部 図書館史研究の現状
    • 第5章 ウェイン・A.ウィーガンドと図書館史研究:第4世代の牽引者
      • 1節 はじめに
      • 2節 研究の視点と方法
      • 3節 ウィーガンドと図書館史の業績
      • 4節 ウィーガンドと図書館史研究
    • 第6章 クリスティン・ポーリーと図書館史研究:プリント・カルチャー史の研究
      • 1節 はじめに:ポーリーと研究業績
      • 2節 プリント・カルチャー/公立図書館の歴史研究
      • 3節 歴史研究の方法論
      • 4節 図書館情報学の批判的研究
      • 5節 おわりに
    • 第7章 アビゲイル・ヴァンスリックと図書館史研究:場の批判的考察
      • 1節 はじめに
      • 2節 ヴァンスリックと研究業績
      • 3節 従来の図書館史建築史とカーネギー図書館の研究
      • 4節 ヴァンスリックと図書館史研究
      • 5節 おわりに
    • 第8章 公立図書館史研究におけるジェンダー:周縁文化への着眼
      • 1節 はじめに
      • 2節 図書館における女性をめぐる議論の史的枠組み:レビュー論文を手掛かりにして
      • 3節 図書館女性研究の主要著作
      • 4節 図書館史女性史研究の2つの系譜
      • 5節 批判的ジェンダー研究の視座
      • 6節 批判的ジェンダー研究の成果:図書館実践をめぐる論点に着目して
      • 7節 おわりに:批判的ジェンダー研究と批判的公立図書館史研究
    • 第9章 公立図書館史研究における黒人:人種隔離を中心として
      • 1節 はじめに
      • 2節 黒人と公立図書館:1960年まで
      • 3節 公立図書館での隔離撤廃と黒人の主張の時代:1960-1970年代
      • 4節 図書館史研究における黒人:1970年代以降
      • 5節 おわりに
  • あとがき
  • 索引
  • 京都図書館情報学研究会と刊行物

2011年7月31日日曜日

終戦時新京 蔵書の行方

間が空いてしまいましたが、図書館史関連資料の紹介です。

『資料展示図録 終戦時新京 蔵書の行方』(京都: 京都ノートルダム女子大学人間文化研究科人間文化専攻, 2011.3)は、京都ノートルダム女子大学人間文化研究科人間文化先行主催(展示企画:岡村敬二)の展示会の図録です。開催期間は平成23年3月29日から4月12日、会場は京都ノートルダム女子大学学術情報センター前渡り廊下とのこと。

目次は次のとおりです。

  • はじめに
  • I 新京という町
    • 長春の町の歴史
    • 寛城子とロシア
    • 満鉄附属地
    • 商埠地の形成と城内
    • 満洲国の成立と国都新京
  • II 新京の文化機関
    • 大学
    • 博物館
    • 図書館
    • 新聞社
    • 出版
    • その他
  • III 焼かれた蔵書 北小路健の場合
    • 出版統制と満洲出版文化研究所
    • 北小路健の履歴
    • 渡満と教員生活
    • 東京帰還と再渡満
    • 終戦と焼かれた蔵書
    • 長春で暮らす
  • IV 蔵書を残す 「文化財処理委員会」
    • 杉村勇造の終戦
    • 「文化財処理委員会」とそのメンバー
    • 収集と展観
    • 「文化財処理委員会」の活動
  • 後記・図版一覧

2011年7月22日金曜日

第9回勉強会のお知らせ

下記の日程で、第9回の勉強会を開催いたします。
御多忙のところと存じますが、ご参加をお待ちしております。

日時:9月11日(日) 14:00~
会場:京都商工会議所 2階第一会議室
テキスト

図書館を育てた人々. 日本編 1 / 石井敦. -- 日本図書館協会, 1983.6
http://opac.ndl.go.jp/recordid/000001644230/jpn
http://webcat.nii.ac.jp/cgi-bin/shsproc?id=BN01584842

から、「佐野友三郎」を取り上げます。
報告者:佐藤久美子氏

どうぞよろしくお願いいたします。

2011年6月30日木曜日

第16回MULU定例茶話会「宮城の図書館のルーツを学ぶ:青柳文庫ビブリヲバトル」参加記

事務局2号です。
6月27日から2日間、saveMLAKボランティアとして東北学院大学の書庫復旧作業に参加してきました。27日の晩は、MULU(Michinoku University Library Union)の定例茶話会にて、公共図書館の源流とされる「青柳文庫(あおやぎぶんこ)」が取り上げられるという情報を聞きつけ、東北大学の吉植さんのご厚意により、茶話会にお邪魔させていただきました。

東北学院大学ボランティア作業についてはこちら
MULUの活動についてはこちらをご参照ください。

リンク先のブログにもありますとおり、MULUは、大学と銘打っていますが、大学図書館に限らず、東北6県の図書館員を中心とした顔が見えるコミュニケーションの活性化をはかるための集まりだそうです。今回は、震災後初の本格的な茶話会とのことで、「異例の大人数」との声も参加者から聞こえるほどの盛会でした。
青柳文庫について発表されたのは、今年4月に採用された東北大の新人図書館員の大友さんと小林さんで、お二方とも卒業論文で「青柳文庫」のことを研究されたとのことです。

青柳文庫とは、仙台の商人青柳文蔵が、仙台藩に寄贈した蔵書約2万冊からなる文庫で、庶民への貸出・閲覧も行っており、公開図書館の源流にあたるものとされています。
小林さんのご発表では、青柳文庫目録の蔵書にNDCを付与して分類し、同じく仙台藩の養賢堂文庫との比較を通じて、現代公共図書館の蔵書構成との類似点を指摘するといった意欲的な試みがあり、また、大友さんのご発表では、青柳文庫を実際に利用していた仙台藩士の日誌を読み説かれた卒業研究の成果を踏まえて、近世期における書物研究(貸本屋・読者論・出版研究・蔵書構成論)の観点から、研究文献の整理・紹介がなされました。

冒頭、事務局から、昨今報道されている移管問題の是非を議論するのではなく、図書館で「学ぶ」ことの象徴として青柳文庫を取り上げ、ルーツを探ることで会の再出発を図るとの趣旨説明がありましたが、お二人の発表は、歴史学と図書館情報学と、それぞれのアプローチから青柳文庫の特質に迫るもので、趣旨に相応しい充実したご発表だと感じました。また発表終了後には、宮城県図書館の熊谷さんから、蔵書の特色について補足のコメントがありました。蔵書の多くは明治維新の際に散逸してしまったそうですが、蔵書印のなかには「角を折らない、背を丸めない、墨で汚さない…」等々利用のマナーを述べたユニークなもの存在するとのことです。

質疑応答では、フロアから、図書館史上の位置づけや、利用実態についての質問のほか、青柳文庫について長く研究をつづけられている早坂信子氏から、文庫を形成した青柳文蔵が江戸で学んだのは朱子学ではなく折衷学派の学問であり、そうした学問上の特徴を反映して青柳文庫には硬い本だけでなく柔らかい本が多いというコメントがありました。

公共図書館の源流に何を位置づけるかについては、論者の図書館の定義によって偏差がありますが、青柳文庫の活動実態が実証的に明らかになればなるほど、同文庫の先駆的な点や、興味深い論点が浮かび上がってくるように感じられました。

終了後に行われた懇親会では、関西文脈の会と合同で企画を立てられないかとのご提案もいただいたので、前向きに検討していきたいと思っています。

2011年6月13日月曜日

関西文脈の会について

※本記事は2011年6月時点の情報です。より新しい紹介記事についてはこちらをご覧ください(2016年5月追記)。

関西文脈の会が発足から1年を経過し、新しい参加者も増えて来たので、会の趣旨と沿革について、簡単にご紹介します(第8回勉強会にて机上配付した資料を元にブログ用に書きなおしたものです)。

文脈の会について
文脈の会は、2009年7月、図書館史に関心を持っている有志(OBを含む国立国会図書館職員、公共図書館職員、図書館情報学の研究者)を中心にして東京で発足しました。会の名称である「文脈」ということばは、顔合わせ会の際に提案された“Library in context”というコンセプトから採用されたものです。同年9月から勉強会をスタートさせ、『中小レポート』等、共通テキストの輪読と自由論題を組み 合わせて交互に発表が行われています。

関西文脈の会
上記メンバーの転勤などがあり、2009年12月から、関西での図書館史勉強会の企画が持ち上がりました。2009年末に行われた「図書館員で集まって飲む会@大阪」(taniwataruさん主催)でも、勉強会への関心が得られ たため、会の名称を「図書館史勉強会@関西 関西文脈の会」と定め、2010年3月から勉強会をスタートさせました。
勉強会は以下のルールによって運営しています。
  • 開催は2か月に一度。土日のいずれかの14:00~17:00とする。
  • 参加者持ち回り制(継続参加者は、原則として最低一人一回は分担するものとする)
  • 発表形式は自由(パワーポイントでもレジュメ形式でも可とする)
  • 制限時間はとくに設けない(質疑応答の時間を含めて時間内に終わればOK)。
  • 発表内容はテキスト輪読または自由論題から選択。※テキスト輪読の場合は、石井敦編『図書館を育てた人々 日本編1』を輪読し取り上げられている図書館人の活動について紹介する。自由論題の場合は、図書館ないし本の歴史に関し、発表者が興味を持った事柄について自由にテーマを設定して発表する。「図書・図書館史」に部分的に関係するものであれば時代・地域等は問わないものとする。また、対象も図書館そのものに限定せず、本の歴史、読書の歴史、各機関所蔵の特殊コレクションの沿革といったテーマを扱ってよいものとする。
  • 会場費とレジュメ印刷費用については当日参加者で等分する。
  • 発表の成果について、発表者が希望する場合には、他の研究会・勉強会での再演を妨げない。また発表の内容について、既存のジャーナルへの投稿も妨げない。
会費は徴収せず、参加者で会場費・レジュメ代を等分する形にしていますが、2011年6月現在、延べ20名強の方にご参加いただいております。今後の勉強会 にご関心のある方は、toshokanshi.kansai●gmail.com(●を@に置き換えてください)までご一報ください。

第8回勉強会(2011年6月12日)報告

「貸本屋の変遷」
日時:2011年6月12日(日) 14:00〜17:00
会場:キャンパスプラザ京都2階和室
発表者:小篠景子

今回の発表では、日本における貸本屋の発生(江戸時代)から、戦後の展開まで、貸本屋の発展とともに図書館界がどのような対応をしてきたかについて、各種の先行研究の論点が整理された。

1.近世
貸本屋は寛永初年頃から行商本屋の兼業として始まり普及していった。寛政年間になると取締の対象にもなった。山東京伝のような作家は、読者に著作を届けるため「貸本屋様はお媒人なり」と考えていた。近世貸本屋のなかでも大手の大野屋惣八が持っていた蔵書は大惣本と呼ばれ、現在は複数の図書館に所蔵されている。

2.明治・大正期
維新後に衰退した貸本屋は、新聞雑誌の流行によって打撃を受けたりもした。明治期に刊行された本のなかには、傷痍軍人が手頃に始められる内職として貸本屋が紹介された事例も見られた。明治20年代になると、得意先を回って貸すのではなく、顧客からの注文に応じて配達を行なう「新式貸本屋」と呼ばれる営業形態が普及し始めた。またこの時代には、東京図書館主幹の手島精一が貸本屋を利用して学校教育を補うことの必要性を訴えているほか、東京市会議員のなかにも、図書館=貸本屋のようなものという理解が少なくなかった。

3.昭和(戦前期)
この時期の資料は少ないとされている。古書店と貸本屋の兼業が多かったが、委託販売を悪用して回覧・賃貸した雑誌を返品する事例があった。また、この頃貸本屋の同業組合が結成されたりもした。新刊書が不況だったため、貸本屋が疎まれ、新刊の組合から除名されたことなどが、その背景にある。昭和20年には、鎌倉在住の文士が生活費獲得の手段として個人蔵書を集めて貸本屋を営んだりもしていた。

4.昭和(戦後期)
戦後は駄菓子屋・文房具屋との兼業がメインではあるが、貸本漫画などを扱ってブームが到来。青少年保護のための悪書追放運動によって貸本屋≒いかがわしい場というイメージが普及してくると、当初反発していた貸本屋界はしだいに自粛し、衛生面での問題がないことを強調したり、優良図書の貸出を始めるなど、文教政策への協力へと転じていった。1950年代後半に『図書館雑誌』上で行なわれたアンケートでは、貸本屋=悪書を提供する場という議論から、大衆が欲する本の手がかりになるという好意的な評価までが混在していた。

5.その後
1970年代、レンタルブック店の登場、図書館と貸本屋の競合。貸本屋界から図書館界への陳情も行なわれた。図書館=無料貸本屋論という批判が繰り返し出されるようになる。

主な質問・議論の要旨は以下のとおり。

  • 貸本屋が一番発展していたのはいつか。時代区分をどう設定するか。明治期の貸本屋の浮沈と自由民権運動は関係していたりするのか。
  • 大正・昭和期にかけての貸本屋の史料が少ないというのは、不思議な気はする。いま調べ直したらかなり出てくるかもしれない。新聞記事や、行政の許認可事業のなかで提出された文書等で概要を把握できるのではないか。
  • 昭和戦前期に「大衆」を発見したといえる青年図書館員聯盟のメンバーは、図書館は貸本屋でよいのだという主張を展開するが、その際に取った手法が、明治期の営業形態の特徴と合致している。つまり、青聯メンバーの思いつきではなくて、貸本屋の営業の形から真剣に学んだことがよくわかる。
  • 新刊書店からの攻勢を受けていた新潟市貸本組合長が「私どもは日本図書館協会が唯一のたより」といっているのが面白いが、多分武居権内(新潟県立図書館長)を介してのコネクションだろう。
  • 貸本屋の発展を論じる場合には、その背景にリテラシーの問題がある。本を読める人が一定以上いて、かつ集まっていないと商売にならないことは意識しておかないといけない。その意味で、貸本屋の黄金時代はたぶん昭和30年代なのだろう。
  • コンテンツの衰退というのは、時流のニーズと密接に関係していると思う。貸本マンガは短編読み切り。これに対して『サンデー』や『マガジン』など週刊誌連載→単行本化という日本独特のマンガ普及形態とも関係していそう。本は借りるものから買うものへ、と高度成長期の意識の変化が起こったことも大きいと思われる。
  • 貸本屋に関する資料は、早稲田の現代マンガ図書館や京都国際マンガミュージアムを調査してみると出てくるのではないか。
膨大な情報を整理した発表で、新規参加者を含めて活発な質疑が展開された。とくに貸本屋の発展と日本の図書館史は深くかかわり合っているので、両者を見ていく必要があることが確認された。
終了後は、懇親会が開催された。

2011年5月28日土曜日

twitterの試験運用はじめました

事務局2号です。
関西文脈の会のお知らせと、図書館史に関する情報をできるだけ早くお届けするために
twitterのアカウントを作成してみました。
しばらく試行錯誤しながらの運用となりますが、
ご関心のある方にfollowいただけるとたいへんありがたいです。


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どうぞよろしくお願いいたします。

2011年5月9日月曜日

第8回勉強会のお知らせ

下記の日程で、第8回の勉強会を開催いたします。

日時:6月12日(日) 14:00~
 ※いつもと異なり日曜日の開催です。ご注意ください。
会場:キャンパスプラザ京都 2階和室

発表者:小篠景子氏
タイトル:貸本屋の変遷(仮)

今回は、テキストの輪読はありません。

どうぞよろしくお願いいたします。

2011年4月20日水曜日

第7回勉強会(2011年4月16日)報告

『図書館を育てた人々 日本編I』を読む(5)
石山洋「中身の充実に努力:太田為三郎」

日時:2011年4月16日(土) 14:00〜17:00
会場:キャンパスプラザ京都2階和室
発表者:吉間仁子
出席者:12名

東京図書館、帝国図書館に勤務し、「和漢図書目録編纂規則」制定や「日本随筆索引」などのツール整備に尽力するとともに、日本図書館協会の会長職や台湾総督府図書館長も務め、初期の図書館講習所を支えた太田為三郎(1864-1936)の事績について、文献を渉猟した吉間氏から丁寧にご紹介いただいた。
発表のなかでは、和田万吉との生涯に渡る友情についてのエピソードが紹介されたほか、ツールの整備という意味では、わが国におけるレファレンスサービスの展開のなかでも太田を評価してよいのではないかとまとめられた。今後の課題として、石山氏らによる先行研究が註なしで引用している太田の日記や原稿、公文書類など資料の確保が必要だと述べられた。

主な質問・議論の要旨は以下のとおり。
  • 史料については、NDL館内限定公開のものもあるが、近代デジタルライブラリーで閲覧可能なものが増えつつある。『図書館雑誌』の記事のみに頼らないで色々調べていくことがおそらく今後の図書館史では大事だと思われる。
  • 事績については、市島謙吉(春城)の『春城日誌』が、早稲田大学の図書館紀要に以前から連載されていて一部はCiniiでも公開されている。見るとちょうど太田の『帝国地名辞書』刊行祝の記事が出てくるので、初期の日本文庫協会(日本図書館協会)メンバーということで見ていけば、年譜の空白部分がかなり埋まるのではないか。
  • 台湾時代のブランクについて、張圍東『走進日治台湾時代:総督府図書館』台灣古籍出版, 2006.1という本があって、かなりの部分を埋めてくれると思われる。ほかに山中樵のことも書かれている。これを見ると日誌等を典拠にしている節があるので、太田の私的な日記か業務日記かはわからないが、台湾に史料は残っているのだろう。
  • 詳細はわからないが、日図協も百年史を作った時に史料を結構集めているのではないか。


事務局の個人的な感想で恐縮だが、とくに今回の報告では、基礎的な事実についても、文献による食い違い(勘違い)が生じていることを認識させられたので、発表者が課題として挙げた資料の渉猟という問題は依然として課題だろうと思われた。
なお今回は新年度ということもあって新規の参加者も増え、活発な議論が展開された。
終了後は懇親会が行われた。

2011年4月3日日曜日

第7回勉強会のお知らせ

事務局2号です。

先の震災で被災された皆さまに心よりお見舞いを申し上げます。
また、現在も様々な形で復旧作業に従事されている皆さまのご努力に最大限の敬意を表します。
すでに図書館界の内外で復興支援に向けた取り組みがスタートしていますが、
本ブログでも関連する情報はできるだけ取り上げて参りたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。



さて、お知らせが大変遅くなってしまい、申し訳ありません。
下記の日程で、第7回の勉強会を開催いたします。
御多忙のところと存じますが、ご参加をお待ちしております。

日時:4月16日(土) 14:00~
会場:キャンパスプラザ京都 和室
テキスト

図書館を育てた人々. 日本編 1 / 石井敦. -- 日本図書館協会, 1983.6
http://opac.ndl.go.jp/recordid/000001644230/jpn
http://webcat.nii.ac.jp/cgi-bin/shsproc?id=BN01584842

から、「太田為三郎」(石山洋著)を取り上げます。
報告者:吉間仁子氏

どうぞよろしくお願いいたします。

2011年3月6日日曜日

日本図書館協会出版物特別セール2011

既にお気付きの方も多いと思いますが、日本図書館協会が出版物特別セール2011を開催中です(2011年3月1日(火)〜2011年5月27日(金))。

http://www.jla.or.jp/bargain2011/index.html

当勉強会で採り上げている『図書館を育てた人々 日本編 1』も特価となっています。
その他、「個人別図書館論選集」の中田邦造、衛藤利夫、佐野友三郎など、図書館史関連の資料がリストに掲載されています。

2011年2月27日日曜日

満鉄図書館史

今さらかもしれませんが、村上美代治『満鉄図書館史』(村上美代治, 2010)について、ようやく入手しましたので、簡単にご紹介します。
全体は、前著『歴史のなかの満鉄図書館』(同, 1999)を基礎に南満洲鉄道株式会社(満鉄)が設置した図書館の通史を描く第I部と、職員や図書館活動などを切り口に満鉄図書館の活動の特異性を分析する第II部、そして年表などからなる巻末資料、参考文献から構成されています。xi, 298頁。ソフトカバー。
章レベルの目次は次の通りです。
  • はしがき
  • 目次
  • 第I部 満鉄図書館史
    • 第1章 満鉄の誕生と図書館の設置(1907〜1914年)
    • 第2章 満鉄図書館の確立と発展(1915〜1937年)
    • 第3章 附属地行政権移譲後の満鉄図書館(1938〜1945年) 
  •  第II部 図書館活動からみた満鉄図書館
    • 第4章 図書館活動を支えた職員
    • 第5章 協力事業にみる図書館活動
    • 第6章 図書館報による弘報活動
    • 第7章 日本図書館協会への結集と満洲図書館協会の設立
    • 第8章 満鉄図書館体制の確立と内地図書館界の影響
    • 第9章 建物から見た満鉄図書館活動
  • 巻末資料
  • 参考文献
  • あとがき

2011年2月22日火曜日

「浮かび上がる検閲の実態」

事務局2号です。
週末に千代田図書館で行われている以下の展示を見てきました。

「浮かび上がる検閲の実態」
会期:2011年1月24日~3月26日
会場:千代田区立千代田図書館9階展示ウォール
 関連で講演イベントなども企画されています。詳細はこちら

戦前期の日本では、出版物は内務省に届け出る納本制度が存在し、内容の検閲が行われていました。とくに戦前期の納本制度の運用については、関東大震災で関係の史料が大量に焼失したことによって、実態がいまひとつ掴めない部分が多くあります。

戦前は、出版法(明治26年 4月14日法律第15号 ※昭和9年に一部改正)によれば「文書図画を出版するときは発行の日より到達すべき日を除き三日前までに製本二部を内務省に届出べし」(第3条)義務付けられていました。

余談ですが、同法で、発行者と印刷者の氏名住所及び発行・印刷の年月日を文書図画の「末尾」に記載するよう定められたので、たいていの明治30年以降~昭和初期の本は、奥付を見ると印刷日と発行日が三日ずれています。


さて、内務省に納本された図書は、そのうち1部が帝国図書館に交付されて蔵書構築の一部を担っていたのですが、もう一冊は内務省の書庫に保管され、関東大震災とともに焼失したとされています。関東大震災後は、内務省のもとで検閲の作業が終わった本が、東京の市立図書館に委託されるようになっていました。

本展示のチラシによれば、おおよそ昭和12年頃から、このような運用が始まっていたようです。これらは「内務省委託本」と呼ばれ、千代田図書館では約2,300冊の資料が確認されているとのことです。

また戦前は、安寧秩序を妨害する、あるいは風俗を壊乱すると認められる文書図画は、内務大臣の権限に於いて発売を禁止し、印刷物を差し押さえることができましたので(同法第19条)、内務省の検閲官がどういう理由で発売禁止にしたかを今回の展示では知ることができます。

医学書に裸体図をどの程度載せてよいか、良くも悪くも役所の仕事ですから、上司に判断を仰ぐ際の理由付けは自ずと詳細になり、かなり微妙な判断基準が、扉に書かれたおびただしい文字のなかに浮かんできます。

また、新聞紙は別の法律の規制を受けていましたが、図書と違い、事前に届け出ることはできず、発行日に回収するしかないため、東京府内ではどのルートでどこの駅で差し押さえるか、事細かに記した文書もあり興味をそそられました。

訪問時には展示資料リストが見当たらず、(よく考えたらカウンターに聞けばよかったのですが…)惜しいなあという思いをしたのですが、検閲について調べるためのパスファインダなどが整備されていて、これだけでも興味深いものとなっています。

配布されていた案内チラシによれば、千代田図書館では現在、調査研究の利便性向上のため、資料集(解説付き目録)の発行準備を進めている(!!)とのことですので、期待して待ちましょう。


*****
<付記>
かくして、検閲用に使われなかった本が帝国図書館に入ってきていたわけですが
発売、公開されてしまった後に改めて発売禁止が決まった本の行方はどうなったのか。
これについては最新の『参考書誌研究』第73号(2010.11)に関連する記事があります。

受入後に発禁となり閲覧制限された図書に関する調査
―戦前の出版法制下の旧帝国図書館における例―

2011年2月14日月曜日

学校図書館史の研究動向

事務局2号です。

『学校図書館』通巻723号(2011.1)に、以下の記事が掲載されています。


今井福司「最近10年間における学校図書館史研究の展望」p36-38,45-47


関西文脈の会では、これまで公共図書館や大学図書館を取り上げることが多かったのですが、同論文では、全国学校図書館協議会による『学校図書館五〇年史』(2004)をはじめとして、制度史・実践史・理論史・オーラルヒストリーの観点から、かなり細かい個々の事例まで網羅した文献紹介をされていますので、占領期の教育改革や、戦後の展開などを考える際に、貴重だと思います。

2011年2月6日日曜日

第6回勉強会(2011年2月5日)報告

「マクロ図書館史」
日時:2011年2月5日(土) 14:00-16:30
会場:京都商工会議所
発表者:谷航
出席者:12名

本発表の資料については、こちら(ぺえぺえ魂:谷さんブログ)に掲載されています。
あわせてご参照ください。

今回は、普段人物に焦点をあてて行なっているテキスト輪読の形式を離れ、資料・施設を切り口に、図書館の歴史を巨視的な視点からとらえる視点を提示いただいた。
はじめに谷氏から、本の未来をめぐる若手パネルディスカッションへの参加経験を踏まえた自己紹介があり、「図書館とは何か、まだ自分自身で一言で答えられないでいる。それは図書館が何なのか自分でよくわかっていないことと同じ」という問題提起が行なわれ、そのために歴史を振り返ってみるという報告の位置付けがなされた。

谷氏が取り上げた主なトピックは以下のとおり。
  • B.C.4000 - 粘土板の登場、その長所と短所
  • B.C.3000 - パピルスの発明、その長所と短所
  • B.C.1780 - 地図の誕生(バビロニア)
  • B.C.1000 - 竹簡、木簡の登場
  • B.C.600-300 - 自国や宗教の権威を高めるための図書館の登場(バビロニア、アレクサンドリア)
  • B.C.100 - コデックス革命(ロール紙に代わるものとして)
  • A.C.50 - 最古の書店(漢代)
  • 770頃 - 日本、最古の印刷物、写字生と写本速度について
  • 1455年 - 活版印刷の登場
  • 1731年 - フィラデルフィア図書館会社 ‐ 私立「公共」図書館の起源?
  • 1848年 - ボストン公共図書館誕生 - アメリカの最古の公共図書館?
  • 20世紀 - タイプライター、マイクロフィルム、電子複写の登場
途中、調べ始めたら楽し過ぎて「キリスト誕生まで辿りつかない」という谷氏の発言(悲鳴?)が、参加者の共感を呼ぶなど、個々のトピックが非常に興味深いものだったため、参加者からは活発な発言が相次いだ。
  • コデックス革命の結果、巻物(ロール)では実現できない検索性、ページ指定、色々なことが可能になったのだと再認識した。
  • 色々な媒体が併用されていたら、媒体による価値の差はあったのか(この点は参加者より、映画レッドクリフを事例にしたフォローあり)
  • 関連書籍を紐解いていくと、同じ時期、違う場所でどういう展開があったのか、古代になればなるほど情報量が少なくてもどかしい思いをする。ヨーロッパの歴史とアジアの歴史がどうつながってくるのか、断片化されたものをどう統合して行ったらよいのか(それを作るのがまさに文脈の仕事なのではないか。というフォローもあった)
  • 図書館でなく書店がコミュニティ機能を果たすという事例は、漢代に起源があるということだが、そういった機能は、郊外型大型書店が主流になる前の日本にはあったのだと思う。そういう意味で本当に色々なことが今変わりつつあると感じる。
  • 海外に行くと、日本語書籍を扱う店は、日本人のコミュニティになっている。日本語が使える場所、という意味で。
  • 公共図書館というとき、クライアントはお客さんなのか、それとも構成員なのか。大学図書館の学生はお客さんか。書籍を共同購入するという形で図書館のコミュニティ形成が始まっているとしたら、どういう位置づけがベストなのか。
  • 図書館が権威の象徴だという側面は、比較的最近になっても変わらない。帝国図書館を作るときに、「文明国には図書館があるもの」といって田中稲城もまったく同じ論理を使っている。
  • マイクロフィルムは何故流行らなかったのか。アメリカの政府刊行物は一時マイクロ化されていた。作成にも閲覧にも機械が必要、ということでは電子書籍と似ているが、作業負荷は電子書籍の方が圧倒的に少ない。そのうちマイクロフィルムが廃れてしまったら、その歴史を知る人もいなくなるので、今誰かがまとめておくというのは、必要なことなのかもしれない。
  • 図書館といったり、書籍館といったり、そのつながりはどうなっているのか。日本の場合、江戸時代まであった文庫と、どういう連続性があるのかは気になる。同じように、「司書」という語もいつから使っているのか気になる。「司書」とは何か、その専門性とはをさかんに議論しながら、いつから使われているかはっきりしないのはもどかしい。
いずれも簡単に答えが出る議論ではないが、多くの問題提起が出る非常に有益な会となった。
終了後は懇親会が行なわれた。

2011年1月18日火曜日

第6回勉強会のお知らせ

事務局2号です。

1月も半ばを過ぎてしまいましたが、
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

さて、以下の要領にて今年最初の勉強会を開催したいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。

日時:2月5日(土) 14:00~
会場:京都商工会議所 2階第一会議室

今回は、テキストの輪読はありません。

「【閑話休題】マクロ図書館史」と題して
谷航さんに、図書館史について谷さんがお考えのこと
思うことなどをお話いただける予定です。

会場費は参加者で割りたいと思いますのでご承知おきください。
差し入れ歓迎いたします。