2011年2月27日日曜日

満鉄図書館史

今さらかもしれませんが、村上美代治『満鉄図書館史』(村上美代治, 2010)について、ようやく入手しましたので、簡単にご紹介します。
全体は、前著『歴史のなかの満鉄図書館』(同, 1999)を基礎に南満洲鉄道株式会社(満鉄)が設置した図書館の通史を描く第I部と、職員や図書館活動などを切り口に満鉄図書館の活動の特異性を分析する第II部、そして年表などからなる巻末資料、参考文献から構成されています。xi, 298頁。ソフトカバー。
章レベルの目次は次の通りです。
  • はしがき
  • 目次
  • 第I部 満鉄図書館史
    • 第1章 満鉄の誕生と図書館の設置(1907〜1914年)
    • 第2章 満鉄図書館の確立と発展(1915〜1937年)
    • 第3章 附属地行政権移譲後の満鉄図書館(1938〜1945年) 
  •  第II部 図書館活動からみた満鉄図書館
    • 第4章 図書館活動を支えた職員
    • 第5章 協力事業にみる図書館活動
    • 第6章 図書館報による弘報活動
    • 第7章 日本図書館協会への結集と満洲図書館協会の設立
    • 第8章 満鉄図書館体制の確立と内地図書館界の影響
    • 第9章 建物から見た満鉄図書館活動
  • 巻末資料
  • 参考文献
  • あとがき

2011年2月22日火曜日

「浮かび上がる検閲の実態」

事務局2号です。
週末に千代田図書館で行われている以下の展示を見てきました。

「浮かび上がる検閲の実態」
会期:2011年1月24日~3月26日
会場:千代田区立千代田図書館9階展示ウォール
 関連で講演イベントなども企画されています。詳細はこちら

戦前期の日本では、出版物は内務省に届け出る納本制度が存在し、内容の検閲が行われていました。とくに戦前期の納本制度の運用については、関東大震災で関係の史料が大量に焼失したことによって、実態がいまひとつ掴めない部分が多くあります。

戦前は、出版法(明治26年 4月14日法律第15号 ※昭和9年に一部改正)によれば「文書図画を出版するときは発行の日より到達すべき日を除き三日前までに製本二部を内務省に届出べし」(第3条)義務付けられていました。

余談ですが、同法で、発行者と印刷者の氏名住所及び発行・印刷の年月日を文書図画の「末尾」に記載するよう定められたので、たいていの明治30年以降~昭和初期の本は、奥付を見ると印刷日と発行日が三日ずれています。


さて、内務省に納本された図書は、そのうち1部が帝国図書館に交付されて蔵書構築の一部を担っていたのですが、もう一冊は内務省の書庫に保管され、関東大震災とともに焼失したとされています。関東大震災後は、内務省のもとで検閲の作業が終わった本が、東京の市立図書館に委託されるようになっていました。

本展示のチラシによれば、おおよそ昭和12年頃から、このような運用が始まっていたようです。これらは「内務省委託本」と呼ばれ、千代田図書館では約2,300冊の資料が確認されているとのことです。

また戦前は、安寧秩序を妨害する、あるいは風俗を壊乱すると認められる文書図画は、内務大臣の権限に於いて発売を禁止し、印刷物を差し押さえることができましたので(同法第19条)、内務省の検閲官がどういう理由で発売禁止にしたかを今回の展示では知ることができます。

医学書に裸体図をどの程度載せてよいか、良くも悪くも役所の仕事ですから、上司に判断を仰ぐ際の理由付けは自ずと詳細になり、かなり微妙な判断基準が、扉に書かれたおびただしい文字のなかに浮かんできます。

また、新聞紙は別の法律の規制を受けていましたが、図書と違い、事前に届け出ることはできず、発行日に回収するしかないため、東京府内ではどのルートでどこの駅で差し押さえるか、事細かに記した文書もあり興味をそそられました。

訪問時には展示資料リストが見当たらず、(よく考えたらカウンターに聞けばよかったのですが…)惜しいなあという思いをしたのですが、検閲について調べるためのパスファインダなどが整備されていて、これだけでも興味深いものとなっています。

配布されていた案内チラシによれば、千代田図書館では現在、調査研究の利便性向上のため、資料集(解説付き目録)の発行準備を進めている(!!)とのことですので、期待して待ちましょう。


*****
<付記>
かくして、検閲用に使われなかった本が帝国図書館に入ってきていたわけですが
発売、公開されてしまった後に改めて発売禁止が決まった本の行方はどうなったのか。
これについては最新の『参考書誌研究』第73号(2010.11)に関連する記事があります。

受入後に発禁となり閲覧制限された図書に関する調査
―戦前の出版法制下の旧帝国図書館における例―

2011年2月14日月曜日

学校図書館史の研究動向

事務局2号です。

『学校図書館』通巻723号(2011.1)に、以下の記事が掲載されています。


今井福司「最近10年間における学校図書館史研究の展望」p36-38,45-47


関西文脈の会では、これまで公共図書館や大学図書館を取り上げることが多かったのですが、同論文では、全国学校図書館協議会による『学校図書館五〇年史』(2004)をはじめとして、制度史・実践史・理論史・オーラルヒストリーの観点から、かなり細かい個々の事例まで網羅した文献紹介をされていますので、占領期の教育改革や、戦後の展開などを考える際に、貴重だと思います。

2011年2月6日日曜日

第6回勉強会(2011年2月5日)報告

「マクロ図書館史」
日時:2011年2月5日(土) 14:00-16:30
会場:京都商工会議所
発表者:谷航
出席者:12名

本発表の資料については、こちら(ぺえぺえ魂:谷さんブログ)に掲載されています。
あわせてご参照ください。

今回は、普段人物に焦点をあてて行なっているテキスト輪読の形式を離れ、資料・施設を切り口に、図書館の歴史を巨視的な視点からとらえる視点を提示いただいた。
はじめに谷氏から、本の未来をめぐる若手パネルディスカッションへの参加経験を踏まえた自己紹介があり、「図書館とは何か、まだ自分自身で一言で答えられないでいる。それは図書館が何なのか自分でよくわかっていないことと同じ」という問題提起が行なわれ、そのために歴史を振り返ってみるという報告の位置付けがなされた。

谷氏が取り上げた主なトピックは以下のとおり。
  • B.C.4000 - 粘土板の登場、その長所と短所
  • B.C.3000 - パピルスの発明、その長所と短所
  • B.C.1780 - 地図の誕生(バビロニア)
  • B.C.1000 - 竹簡、木簡の登場
  • B.C.600-300 - 自国や宗教の権威を高めるための図書館の登場(バビロニア、アレクサンドリア)
  • B.C.100 - コデックス革命(ロール紙に代わるものとして)
  • A.C.50 - 最古の書店(漢代)
  • 770頃 - 日本、最古の印刷物、写字生と写本速度について
  • 1455年 - 活版印刷の登場
  • 1731年 - フィラデルフィア図書館会社 ‐ 私立「公共」図書館の起源?
  • 1848年 - ボストン公共図書館誕生 - アメリカの最古の公共図書館?
  • 20世紀 - タイプライター、マイクロフィルム、電子複写の登場
途中、調べ始めたら楽し過ぎて「キリスト誕生まで辿りつかない」という谷氏の発言(悲鳴?)が、参加者の共感を呼ぶなど、個々のトピックが非常に興味深いものだったため、参加者からは活発な発言が相次いだ。
  • コデックス革命の結果、巻物(ロール)では実現できない検索性、ページ指定、色々なことが可能になったのだと再認識した。
  • 色々な媒体が併用されていたら、媒体による価値の差はあったのか(この点は参加者より、映画レッドクリフを事例にしたフォローあり)
  • 関連書籍を紐解いていくと、同じ時期、違う場所でどういう展開があったのか、古代になればなるほど情報量が少なくてもどかしい思いをする。ヨーロッパの歴史とアジアの歴史がどうつながってくるのか、断片化されたものをどう統合して行ったらよいのか(それを作るのがまさに文脈の仕事なのではないか。というフォローもあった)
  • 図書館でなく書店がコミュニティ機能を果たすという事例は、漢代に起源があるということだが、そういった機能は、郊外型大型書店が主流になる前の日本にはあったのだと思う。そういう意味で本当に色々なことが今変わりつつあると感じる。
  • 海外に行くと、日本語書籍を扱う店は、日本人のコミュニティになっている。日本語が使える場所、という意味で。
  • 公共図書館というとき、クライアントはお客さんなのか、それとも構成員なのか。大学図書館の学生はお客さんか。書籍を共同購入するという形で図書館のコミュニティ形成が始まっているとしたら、どういう位置づけがベストなのか。
  • 図書館が権威の象徴だという側面は、比較的最近になっても変わらない。帝国図書館を作るときに、「文明国には図書館があるもの」といって田中稲城もまったく同じ論理を使っている。
  • マイクロフィルムは何故流行らなかったのか。アメリカの政府刊行物は一時マイクロ化されていた。作成にも閲覧にも機械が必要、ということでは電子書籍と似ているが、作業負荷は電子書籍の方が圧倒的に少ない。そのうちマイクロフィルムが廃れてしまったら、その歴史を知る人もいなくなるので、今誰かがまとめておくというのは、必要なことなのかもしれない。
  • 図書館といったり、書籍館といったり、そのつながりはどうなっているのか。日本の場合、江戸時代まであった文庫と、どういう連続性があるのかは気になる。同じように、「司書」という語もいつから使っているのか気になる。「司書」とは何か、その専門性とはをさかんに議論しながら、いつから使われているかはっきりしないのはもどかしい。
いずれも簡単に答えが出る議論ではないが、多くの問題提起が出る非常に有益な会となった。
終了後は懇親会が行なわれた。