2011年2月22日火曜日

「浮かび上がる検閲の実態」

事務局2号です。
週末に千代田図書館で行われている以下の展示を見てきました。

「浮かび上がる検閲の実態」
会期:2011年1月24日~3月26日
会場:千代田区立千代田図書館9階展示ウォール
 関連で講演イベントなども企画されています。詳細はこちら

戦前期の日本では、出版物は内務省に届け出る納本制度が存在し、内容の検閲が行われていました。とくに戦前期の納本制度の運用については、関東大震災で関係の史料が大量に焼失したことによって、実態がいまひとつ掴めない部分が多くあります。

戦前は、出版法(明治26年 4月14日法律第15号 ※昭和9年に一部改正)によれば「文書図画を出版するときは発行の日より到達すべき日を除き三日前までに製本二部を内務省に届出べし」(第3条)義務付けられていました。

余談ですが、同法で、発行者と印刷者の氏名住所及び発行・印刷の年月日を文書図画の「末尾」に記載するよう定められたので、たいていの明治30年以降~昭和初期の本は、奥付を見ると印刷日と発行日が三日ずれています。


さて、内務省に納本された図書は、そのうち1部が帝国図書館に交付されて蔵書構築の一部を担っていたのですが、もう一冊は内務省の書庫に保管され、関東大震災とともに焼失したとされています。関東大震災後は、内務省のもとで検閲の作業が終わった本が、東京の市立図書館に委託されるようになっていました。

本展示のチラシによれば、おおよそ昭和12年頃から、このような運用が始まっていたようです。これらは「内務省委託本」と呼ばれ、千代田図書館では約2,300冊の資料が確認されているとのことです。

また戦前は、安寧秩序を妨害する、あるいは風俗を壊乱すると認められる文書図画は、内務大臣の権限に於いて発売を禁止し、印刷物を差し押さえることができましたので(同法第19条)、内務省の検閲官がどういう理由で発売禁止にしたかを今回の展示では知ることができます。

医学書に裸体図をどの程度載せてよいか、良くも悪くも役所の仕事ですから、上司に判断を仰ぐ際の理由付けは自ずと詳細になり、かなり微妙な判断基準が、扉に書かれたおびただしい文字のなかに浮かんできます。

また、新聞紙は別の法律の規制を受けていましたが、図書と違い、事前に届け出ることはできず、発行日に回収するしかないため、東京府内ではどのルートでどこの駅で差し押さえるか、事細かに記した文書もあり興味をそそられました。

訪問時には展示資料リストが見当たらず、(よく考えたらカウンターに聞けばよかったのですが…)惜しいなあという思いをしたのですが、検閲について調べるためのパスファインダなどが整備されていて、これだけでも興味深いものとなっています。

配布されていた案内チラシによれば、千代田図書館では現在、調査研究の利便性向上のため、資料集(解説付き目録)の発行準備を進めている(!!)とのことですので、期待して待ちましょう。


*****
<付記>
かくして、検閲用に使われなかった本が帝国図書館に入ってきていたわけですが
発売、公開されてしまった後に改めて発売禁止が決まった本の行方はどうなったのか。
これについては最新の『参考書誌研究』第73号(2010.11)に関連する記事があります。

受入後に発禁となり閲覧制限された図書に関する調査
―戦前の出版法制下の旧帝国図書館における例―

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