2011年6月30日木曜日

第16回MULU定例茶話会「宮城の図書館のルーツを学ぶ:青柳文庫ビブリヲバトル」参加記

事務局2号です。
6月27日から2日間、saveMLAKボランティアとして東北学院大学の書庫復旧作業に参加してきました。27日の晩は、MULU(Michinoku University Library Union)の定例茶話会にて、公共図書館の源流とされる「青柳文庫(あおやぎぶんこ)」が取り上げられるという情報を聞きつけ、東北大学の吉植さんのご厚意により、茶話会にお邪魔させていただきました。

東北学院大学ボランティア作業についてはこちら
MULUの活動についてはこちらをご参照ください。

リンク先のブログにもありますとおり、MULUは、大学と銘打っていますが、大学図書館に限らず、東北6県の図書館員を中心とした顔が見えるコミュニケーションの活性化をはかるための集まりだそうです。今回は、震災後初の本格的な茶話会とのことで、「異例の大人数」との声も参加者から聞こえるほどの盛会でした。
青柳文庫について発表されたのは、今年4月に採用された東北大の新人図書館員の大友さんと小林さんで、お二方とも卒業論文で「青柳文庫」のことを研究されたとのことです。

青柳文庫とは、仙台の商人青柳文蔵が、仙台藩に寄贈した蔵書約2万冊からなる文庫で、庶民への貸出・閲覧も行っており、公開図書館の源流にあたるものとされています。
小林さんのご発表では、青柳文庫目録の蔵書にNDCを付与して分類し、同じく仙台藩の養賢堂文庫との比較を通じて、現代公共図書館の蔵書構成との類似点を指摘するといった意欲的な試みがあり、また、大友さんのご発表では、青柳文庫を実際に利用していた仙台藩士の日誌を読み説かれた卒業研究の成果を踏まえて、近世期における書物研究(貸本屋・読者論・出版研究・蔵書構成論)の観点から、研究文献の整理・紹介がなされました。

冒頭、事務局から、昨今報道されている移管問題の是非を議論するのではなく、図書館で「学ぶ」ことの象徴として青柳文庫を取り上げ、ルーツを探ることで会の再出発を図るとの趣旨説明がありましたが、お二人の発表は、歴史学と図書館情報学と、それぞれのアプローチから青柳文庫の特質に迫るもので、趣旨に相応しい充実したご発表だと感じました。また発表終了後には、宮城県図書館の熊谷さんから、蔵書の特色について補足のコメントがありました。蔵書の多くは明治維新の際に散逸してしまったそうですが、蔵書印のなかには「角を折らない、背を丸めない、墨で汚さない…」等々利用のマナーを述べたユニークなもの存在するとのことです。

質疑応答では、フロアから、図書館史上の位置づけや、利用実態についての質問のほか、青柳文庫について長く研究をつづけられている早坂信子氏から、文庫を形成した青柳文蔵が江戸で学んだのは朱子学ではなく折衷学派の学問であり、そうした学問上の特徴を反映して青柳文庫には硬い本だけでなく柔らかい本が多いというコメントがありました。

公共図書館の源流に何を位置づけるかについては、論者の図書館の定義によって偏差がありますが、青柳文庫の活動実態が実証的に明らかになればなるほど、同文庫の先駆的な点や、興味深い論点が浮かび上がってくるように感じられました。

終了後に行われた懇親会では、関西文脈の会と合同で企画を立てられないかとのご提案もいただいたので、前向きに検討していきたいと思っています。

2011年6月13日月曜日

関西文脈の会について

※本記事は2011年6月時点の情報です。より新しい紹介記事についてはこちらをご覧ください(2016年5月追記)。

関西文脈の会が発足から1年を経過し、新しい参加者も増えて来たので、会の趣旨と沿革について、簡単にご紹介します(第8回勉強会にて机上配付した資料を元にブログ用に書きなおしたものです)。

文脈の会について
文脈の会は、2009年7月、図書館史に関心を持っている有志(OBを含む国立国会図書館職員、公共図書館職員、図書館情報学の研究者)を中心にして東京で発足しました。会の名称である「文脈」ということばは、顔合わせ会の際に提案された“Library in context”というコンセプトから採用されたものです。同年9月から勉強会をスタートさせ、『中小レポート』等、共通テキストの輪読と自由論題を組み 合わせて交互に発表が行われています。

関西文脈の会
上記メンバーの転勤などがあり、2009年12月から、関西での図書館史勉強会の企画が持ち上がりました。2009年末に行われた「図書館員で集まって飲む会@大阪」(taniwataruさん主催)でも、勉強会への関心が得られ たため、会の名称を「図書館史勉強会@関西 関西文脈の会」と定め、2010年3月から勉強会をスタートさせました。
勉強会は以下のルールによって運営しています。
  • 開催は2か月に一度。土日のいずれかの14:00~17:00とする。
  • 参加者持ち回り制(継続参加者は、原則として最低一人一回は分担するものとする)
  • 発表形式は自由(パワーポイントでもレジュメ形式でも可とする)
  • 制限時間はとくに設けない(質疑応答の時間を含めて時間内に終わればOK)。
  • 発表内容はテキスト輪読または自由論題から選択。※テキスト輪読の場合は、石井敦編『図書館を育てた人々 日本編1』を輪読し取り上げられている図書館人の活動について紹介する。自由論題の場合は、図書館ないし本の歴史に関し、発表者が興味を持った事柄について自由にテーマを設定して発表する。「図書・図書館史」に部分的に関係するものであれば時代・地域等は問わないものとする。また、対象も図書館そのものに限定せず、本の歴史、読書の歴史、各機関所蔵の特殊コレクションの沿革といったテーマを扱ってよいものとする。
  • 会場費とレジュメ印刷費用については当日参加者で等分する。
  • 発表の成果について、発表者が希望する場合には、他の研究会・勉強会での再演を妨げない。また発表の内容について、既存のジャーナルへの投稿も妨げない。
会費は徴収せず、参加者で会場費・レジュメ代を等分する形にしていますが、2011年6月現在、延べ20名強の方にご参加いただいております。今後の勉強会 にご関心のある方は、toshokanshi.kansai●gmail.com(●を@に置き換えてください)までご一報ください。

第8回勉強会(2011年6月12日)報告

「貸本屋の変遷」
日時:2011年6月12日(日) 14:00〜17:00
会場:キャンパスプラザ京都2階和室
発表者:小篠景子

今回の発表では、日本における貸本屋の発生(江戸時代)から、戦後の展開まで、貸本屋の発展とともに図書館界がどのような対応をしてきたかについて、各種の先行研究の論点が整理された。

1.近世
貸本屋は寛永初年頃から行商本屋の兼業として始まり普及していった。寛政年間になると取締の対象にもなった。山東京伝のような作家は、読者に著作を届けるため「貸本屋様はお媒人なり」と考えていた。近世貸本屋のなかでも大手の大野屋惣八が持っていた蔵書は大惣本と呼ばれ、現在は複数の図書館に所蔵されている。

2.明治・大正期
維新後に衰退した貸本屋は、新聞雑誌の流行によって打撃を受けたりもした。明治期に刊行された本のなかには、傷痍軍人が手頃に始められる内職として貸本屋が紹介された事例も見られた。明治20年代になると、得意先を回って貸すのではなく、顧客からの注文に応じて配達を行なう「新式貸本屋」と呼ばれる営業形態が普及し始めた。またこの時代には、東京図書館主幹の手島精一が貸本屋を利用して学校教育を補うことの必要性を訴えているほか、東京市会議員のなかにも、図書館=貸本屋のようなものという理解が少なくなかった。

3.昭和(戦前期)
この時期の資料は少ないとされている。古書店と貸本屋の兼業が多かったが、委託販売を悪用して回覧・賃貸した雑誌を返品する事例があった。また、この頃貸本屋の同業組合が結成されたりもした。新刊書が不況だったため、貸本屋が疎まれ、新刊の組合から除名されたことなどが、その背景にある。昭和20年には、鎌倉在住の文士が生活費獲得の手段として個人蔵書を集めて貸本屋を営んだりもしていた。

4.昭和(戦後期)
戦後は駄菓子屋・文房具屋との兼業がメインではあるが、貸本漫画などを扱ってブームが到来。青少年保護のための悪書追放運動によって貸本屋≒いかがわしい場というイメージが普及してくると、当初反発していた貸本屋界はしだいに自粛し、衛生面での問題がないことを強調したり、優良図書の貸出を始めるなど、文教政策への協力へと転じていった。1950年代後半に『図書館雑誌』上で行なわれたアンケートでは、貸本屋=悪書を提供する場という議論から、大衆が欲する本の手がかりになるという好意的な評価までが混在していた。

5.その後
1970年代、レンタルブック店の登場、図書館と貸本屋の競合。貸本屋界から図書館界への陳情も行なわれた。図書館=無料貸本屋論という批判が繰り返し出されるようになる。

主な質問・議論の要旨は以下のとおり。

  • 貸本屋が一番発展していたのはいつか。時代区分をどう設定するか。明治期の貸本屋の浮沈と自由民権運動は関係していたりするのか。
  • 大正・昭和期にかけての貸本屋の史料が少ないというのは、不思議な気はする。いま調べ直したらかなり出てくるかもしれない。新聞記事や、行政の許認可事業のなかで提出された文書等で概要を把握できるのではないか。
  • 昭和戦前期に「大衆」を発見したといえる青年図書館員聯盟のメンバーは、図書館は貸本屋でよいのだという主張を展開するが、その際に取った手法が、明治期の営業形態の特徴と合致している。つまり、青聯メンバーの思いつきではなくて、貸本屋の営業の形から真剣に学んだことがよくわかる。
  • 新刊書店からの攻勢を受けていた新潟市貸本組合長が「私どもは日本図書館協会が唯一のたより」といっているのが面白いが、多分武居権内(新潟県立図書館長)を介してのコネクションだろう。
  • 貸本屋の発展を論じる場合には、その背景にリテラシーの問題がある。本を読める人が一定以上いて、かつ集まっていないと商売にならないことは意識しておかないといけない。その意味で、貸本屋の黄金時代はたぶん昭和30年代なのだろう。
  • コンテンツの衰退というのは、時流のニーズと密接に関係していると思う。貸本マンガは短編読み切り。これに対して『サンデー』や『マガジン』など週刊誌連載→単行本化という日本独特のマンガ普及形態とも関係していそう。本は借りるものから買うものへ、と高度成長期の意識の変化が起こったことも大きいと思われる。
  • 貸本屋に関する資料は、早稲田の現代マンガ図書館や京都国際マンガミュージアムを調査してみると出てくるのではないか。
膨大な情報を整理した発表で、新規参加者を含めて活発な質疑が展開された。とくに貸本屋の発展と日本の図書館史は深くかかわり合っているので、両者を見ていく必要があることが確認された。
終了後は、懇親会が開催された。