2011年6月13日月曜日

第8回勉強会(2011年6月12日)報告

「貸本屋の変遷」
日時:2011年6月12日(日) 14:00〜17:00
会場:キャンパスプラザ京都2階和室
発表者:小篠景子

今回の発表では、日本における貸本屋の発生(江戸時代)から、戦後の展開まで、貸本屋の発展とともに図書館界がどのような対応をしてきたかについて、各種の先行研究の論点が整理された。

1.近世
貸本屋は寛永初年頃から行商本屋の兼業として始まり普及していった。寛政年間になると取締の対象にもなった。山東京伝のような作家は、読者に著作を届けるため「貸本屋様はお媒人なり」と考えていた。近世貸本屋のなかでも大手の大野屋惣八が持っていた蔵書は大惣本と呼ばれ、現在は複数の図書館に所蔵されている。

2.明治・大正期
維新後に衰退した貸本屋は、新聞雑誌の流行によって打撃を受けたりもした。明治期に刊行された本のなかには、傷痍軍人が手頃に始められる内職として貸本屋が紹介された事例も見られた。明治20年代になると、得意先を回って貸すのではなく、顧客からの注文に応じて配達を行なう「新式貸本屋」と呼ばれる営業形態が普及し始めた。またこの時代には、東京図書館主幹の手島精一が貸本屋を利用して学校教育を補うことの必要性を訴えているほか、東京市会議員のなかにも、図書館=貸本屋のようなものという理解が少なくなかった。

3.昭和(戦前期)
この時期の資料は少ないとされている。古書店と貸本屋の兼業が多かったが、委託販売を悪用して回覧・賃貸した雑誌を返品する事例があった。また、この頃貸本屋の同業組合が結成されたりもした。新刊書が不況だったため、貸本屋が疎まれ、新刊の組合から除名されたことなどが、その背景にある。昭和20年には、鎌倉在住の文士が生活費獲得の手段として個人蔵書を集めて貸本屋を営んだりもしていた。

4.昭和(戦後期)
戦後は駄菓子屋・文房具屋との兼業がメインではあるが、貸本漫画などを扱ってブームが到来。青少年保護のための悪書追放運動によって貸本屋≒いかがわしい場というイメージが普及してくると、当初反発していた貸本屋界はしだいに自粛し、衛生面での問題がないことを強調したり、優良図書の貸出を始めるなど、文教政策への協力へと転じていった。1950年代後半に『図書館雑誌』上で行なわれたアンケートでは、貸本屋=悪書を提供する場という議論から、大衆が欲する本の手がかりになるという好意的な評価までが混在していた。

5.その後
1970年代、レンタルブック店の登場、図書館と貸本屋の競合。貸本屋界から図書館界への陳情も行なわれた。図書館=無料貸本屋論という批判が繰り返し出されるようになる。

主な質問・議論の要旨は以下のとおり。

  • 貸本屋が一番発展していたのはいつか。時代区分をどう設定するか。明治期の貸本屋の浮沈と自由民権運動は関係していたりするのか。
  • 大正・昭和期にかけての貸本屋の史料が少ないというのは、不思議な気はする。いま調べ直したらかなり出てくるかもしれない。新聞記事や、行政の許認可事業のなかで提出された文書等で概要を把握できるのではないか。
  • 昭和戦前期に「大衆」を発見したといえる青年図書館員聯盟のメンバーは、図書館は貸本屋でよいのだという主張を展開するが、その際に取った手法が、明治期の営業形態の特徴と合致している。つまり、青聯メンバーの思いつきではなくて、貸本屋の営業の形から真剣に学んだことがよくわかる。
  • 新刊書店からの攻勢を受けていた新潟市貸本組合長が「私どもは日本図書館協会が唯一のたより」といっているのが面白いが、多分武居権内(新潟県立図書館長)を介してのコネクションだろう。
  • 貸本屋の発展を論じる場合には、その背景にリテラシーの問題がある。本を読める人が一定以上いて、かつ集まっていないと商売にならないことは意識しておかないといけない。その意味で、貸本屋の黄金時代はたぶん昭和30年代なのだろう。
  • コンテンツの衰退というのは、時流のニーズと密接に関係していると思う。貸本マンガは短編読み切り。これに対して『サンデー』や『マガジン』など週刊誌連載→単行本化という日本独特のマンガ普及形態とも関係していそう。本は借りるものから買うものへ、と高度成長期の意識の変化が起こったことも大きいと思われる。
  • 貸本屋に関する資料は、早稲田の現代マンガ図書館や京都国際マンガミュージアムを調査してみると出てくるのではないか。
膨大な情報を整理した発表で、新規参加者を含めて活発な質疑が展開された。とくに貸本屋の発展と日本の図書館史は深くかかわり合っているので、両者を見ていく必要があることが確認された。
終了後は、懇親会が開催された。

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