2012年9月29日土曜日

第153回Ku-librarians勉強会報告

事務局2号です。

既報の通り、9月13日、第153回Ku-librarians勉強会で「図書館史の勉強から見えてきたこと」と題してお話しさせていただきました。

勉強会ページはこちら(togetterもあります)

簡単ですが、その要旨を掲げ、勉強会報告とさせていただきます。「関西文脈の会について」「なぜいま「図書館史」なのか」「見えてきたこと」の三つを中心に構成しました。

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発表概要


1.関西文脈の会について
 関西文脈の会について、名称の由来、設立経緯などをお話しさせていただいた。文脈の会は、2009年の夏に東京本館で、NDL職員、OB、公共・大学図書館の職員、大学の先生方を集めてスタートしたこと、「文脈」の名称はLibrary in contextというコンセプトから付けられた名前です。「マニアックな歴史事項を取り上げてのトリビアリズムに陥らず、図書館が置かれてきたコンテクストを見失わないようにしたいですね」という話から付けられたものであることを紹介した。関西では2010年から、2か月に1度、勉強会をやっており、テキストには、石井敦先生の『図書館を育てた人々』日本編1を使っているほか、自由論題による発表を合わせて開催している。

2.なぜいま「図書館史」なのか?
 図書館史の勉強について、図書館関係者だけではなくて、むしろ歴史学や思想、文学の研究者、あるいはもっと広い意味でのユーザーに、図書館の歴史を語りたいと考えていることを述べた。というのは、図書館史の論文や本を読み始めてみるうちに、あまり意識してこなかったものの、日本近代の思想史にとって図書館は大事だという印象を持つようになり、これはもったいないことであると思うようになったことが大きい。自分が図書館にいることを活かす意味でも、日本史の研究者に向けて図書館史を発信して行くようにすれば、図書館と日本史研究者を繋げることができ、それが自分の強みになるのではないかと考えた。
 また、発表者は小野則秋の『日本文庫史』に「国民的教養としての文庫史」とあるのを読んでから、図書館史って誰のものなんだろうかと思うようになったことを紹介した。図書館は図書館員のためのものなのか、それだけではない。図書館に関わるユーザのものであろう。いや、たんにユーザだけではたりない。広い意味での広報―public rerationsとしての―図書館のPRということを念頭に置くならば、あらゆるステークホルダーに向けて、図書館とはこういう来歴があって、こういうことをしているんですよと丁寧に説明していく努力が今こそ必要で、そのために図書館史の知識が必要なのではないかと述べた。

3.見えてきたこと
 最近、図書館史の研究は活況を呈しつつあるかに見える。館種別の議論が公共中心から、だんだん豊富になってきたこと、図書館人個人に光を当てる研究が増えていることなども奥泉和久先生や三浦太郎先生の論文で指摘されている。だが他方で、教科書の規範となるような歴史の枠組みが形成された時期の図書館像と、今の図書館像がズレてきている面もある。発表者を含む若手図書館員の間では、ちょっと前まで確固として存在していた「べき論」を共有できなくなっている。しかもそれは私たちの勉強不足のせいばかりとはいえず、周りの環境がそれを許さなくなってきているところが大きい。

 むしろ、これから図書館史に向かうにあたっては、あるべき姿ではなく、見通しが立たないからこそ、かつて色々な形での模索があったことを知り、武器としての図書館史を学んでいく必要があるのではないか。その上で大きなヒントになるのは、地域の視点ではないかと考えている。
 とくに関西は図書館の歴史の宝庫である。明治時代、日本初の公共図書館で、今の京都府立図書館の源流とされる集書院の存在があった。また、日図協と対をなす存在として京大中心に結成された関西文庫協会があり、あるいは昭和初期には、日本図書館研究会の源流となった青年図書館員聯盟の結成があり、戦後も、神戸市立を中心にしたレファレンス・サービスの理論化があり、そして阪神淡路大震災の後の震災文庫の取り組み、近年でも京大の電子図書館開発、府県立では大阪府立中之島のビジネス支援サービス、奈良県立図書情報館の各種イベントなど、色々な取り組みが続けられている。

 何故、これほど関西で活発な図書館活動が続けられたのか。それを見ていくと、東京(関東)で出来ないことを「関西」でやってやる、という強い意志のようなものが一貫して感じられる。京大が出来た時、初代総長の木下広次は、東京の帝国図書館一個だけではだめなので、京大の図書館を広く一般にも公開して、西日本の中心にする、歴史や宗教の典籍はむしろ京都の方が東京よりも豊富だから、西にも図書館が必要だと論じていた(ただし、一般公開は実現しなかった)。以上のことは、まだ印象にとどまり、実証には届いていないが、このことは、日本の図書館が横並びで実は一つのサービスに重点的に取り組むのではなくて、むしろ、それぞれの図書館が例えば地域的に東西に分かれたところでそれぞれの個性を発揮することで発展してきたことを示唆する。自館が図書館・地域・社会全体のなかでどういう機能を担うかに目を向けることで、これからの展望が開けるかもしれないと云うことが、図書館史の勉強を初めて今までやってきて、ようやく見えてきたことになる。今後は、例えば地域の図書館運動を担って来て、今は退職されて第一線を引かれた方への聞き取りなどもやってみたいと考えている。

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なお、本発表終了後、発表者が業務で担当した図書館史の展示会について
『カレントアウェアネス-E』に下記記事を発表させていただいたので
(物凄い手前みそですが…)関連記事として紹介させていただきます。

E1343 - 記念展示会「関西の図書館100年,関西館の10年」を企画して
カレントアウェアネス-E
No.223 2012.09.27

2012年9月2日日曜日

第16回勉強会のお知らせ

下記の日程で、第16回の勉強会を開催いたします。
御多忙のところと存じますが、ご参加をお待ちしております。

日時:10月21日(日) 14:00~

会場:シェアハウス鍵屋荘
地下鉄五条駅から5分くらいです。
場所をご存知でない方は事務局宛にご連絡ください。


テキスト
図書館を育てた人々. 日本編 1 / 石井敦. -- 日本図書館協会, 1983.6
http://opac.ndl.go.jp/recordid/000001644230/jpn
http://webcat.nii.ac.jp/cgi-bin/shsproc?id=BN01584842

から、「田中敬」を取り上げます。
発表者:土出 郁子氏

参加ご希望の方は、事務局<toshokanshi.kansai @ gmail.com(@は半角)>までご一報ください。
twitterアカウント@k_context宛にご連絡いただいても構いません。
どうぞよろしくお願いいたします。

第153回Ku-librarians勉強会で発表します。

京都大学の若手図書系職員のみなさんが開いているKu-librarians勉強会にて、関西文脈の会についてのお話をさせていただけることになりました。

第153回 Ku-libraians勉強会
日時:9月13日(木) 19:00~
会場:京都大学附属図書館3F 共同研究室5
タイトル:「図書館史の勉強から見えてきたこと」

発表者:長尾 宗典(国立国会図書館関西館)

勉強会詳細ページはこちらです。


どうぞよろしくお願いいたします。

2012年9月1日土曜日

第15回勉強会(2012年8月26日)報告

「占領期京都と京都図書館協会の成立 」
日時:8月26日(日) 14:00~17:00
会場:京都商工会議所第二会議室
報告者:福島 幸宏氏(京都府立総合資料館)

今回は福島氏から、占領期京都という文脈のなかで、1947年に設立された京都図書館協会の展開について発表いただいた。

当日のtwitterによるつぶやきまとめはこちらから。

はじめに、本報告では、当事者による回顧や断片的な記述から脱却した占領期京都の図書館史をデッサンすることを目的とするという位置づけが述べられ、研究史の批判的整理を踏まえて、とくに二つの方法的な視点が述べられた。一つは、「占領期京都」という特殊性を意識した検証するという地域の視点、もう一つは、制度史や個人の伝記的研究に傾斜しがちな研究史の枠組みを超えて、団体の活動を取り上げるという視点であった。

 京都府立総合資料館にある簿冊二冊と京都図書館協会の会報を基礎資料として行なわれた。

 1.占領期京都と文化政策

 京都の占領期研究はまだ事実の掘り起こし段階にとどまっているとされるが、大都市のなかでは比較的軽微な被害に留まり、占領軍にとって西日本の拠点になったこと、大学の街であり、知識人層が流入してきたこと、同志社を中心とするキリスト教人脈があり、占領政策の中での民主教育推進のモデル地区として京都が日米両国から期待される場であったことが指摘された。

2.京都図書館協会への胎動


 占領期京都では協会設置に繋がるいくつかの動きが存在した。大佐三四五(おおさ・みよご、日本外政協会・米軍将校倶楽部図書館長)や西村精一(府立図書館長)が議論に参加した図書館法制定への関与、青年図書館員聯盟の後を受けて誕生した日本図書館研究会、図書館員同志社図書館講習所の存在、第六軍司令官クルーガー大将が残したクルーガー図書館の活動、などである。図書館法制定に向けて大佐が中心となり、戦前の議論に占領軍の意向をふまえた議論が行なわれた。戦争下で沈黙されられていた人々(たとえば青聯)の復活に見えるが、連続性だけでなく、ここで新たな人材が入って来ていることも重要だと指摘された。

3.京都図書館協会の設立

 こうした中で、1947年10月に京都図書館協会が設立される。準備委員会では座長に小野則秋が、11月の発会式では湯浅八郎が会長に就任した。これは新しいアメリカの図書館技術を吸収するための対外的貫禄を持った人物が会長に相応しいという期待によるものであった。初期の規則案には「求人求職の斡旋及び推薦」の項目もあった。京都市内の参加が多かったが、ユニークなのは、島津製作所伏見工場の工場長が代表として参加していたことである。初期協会の特徴としては、同志社を中核とする戦前から実績ある大学系の図書館員を軸にした活動だったこと、学校図書館中心の活動・講習会、読書サークル活動を行なっていたことが挙げられる。学校図書館中心の活動は、学校教育法の図書館必置義務に対応するためだったとも指摘された。また、和辻春次顕彰のために創立された和風図書館(ここでいう和風とは、和辻の遺風の意で洋風に対立する概念ではないらしい)が結節点となり、戦後の文化運動の一つの拠点になっていたことも指摘された。

 4.京都図書館協会の展開

 京都図書館協会の展開のなかで重要な役割を担ったのが、和風図書館の北村信太郎であった。北村は社会教育課主事となり、大佐に代わって府の図書館行政の中心的役割を果たしていくことになる。協会は1948年以降、学校図書館に関する意見書を頻繁に提出し、こうした運動は近畿、やがて全国レベルでの結集につながっていくことになった。また1949年4月には、京都図書館協会は日本図書館協会の京都支部を兼ねる文書も存在している。1950年に京都で行なわれた全国図書館協会では400名が参加し、大佐が府県協議会と日図協の連携強化を提案したりした。また、文部省や設立直後の国立国会図書館を頼りにするのではなく、協会が統一的に活動して、出版社とも連携しながら良書普及を行なって行くことを事業として確認していた。同じ頃、北村は、同志社の小野、竹林熊彦らとともに、府内各地で講習会の地方開催を行なっていった。しかし、協会は全国図書館大会が行なわれた1950年を画期として、協会の運動団体としての性質は変わっていった。湯浅の東京への異動、小野の教職追放等のほか、求職斡旋など当初の協会が保持してきた独占的地位は次第にくずれたこと、また1950年に図書館法が公布されて大学での司書課程が整備されていったことなどが理由として挙げられた。

 結論として、設立当初の京都図書館協会は、良書推薦や京都知識人との連携を武器に活動し、占領初期の重層的な動向が反映した組織だったことが述べられた。また、最後に図書館史における戦前と戦後の連続/非連続が論じられ、テクニカルな部分での連続性は強く認められるものの、思想的な断絶ということも意識されるべきではないかという問題提起がなされた。

主な質疑と応答は以下の通り

  • 竹林熊彦の著作を読んでいると、戦前戦後の断絶や変化は表立って出てこない。それでも思想的断絶を重く見るということか? →竹林の中で矛盾するかしないかの問題ではない。竹林自身が矛盾を感じていないことは確かだろうが、それが見えなくなるのが今回批判したかった個人史の限界でもある。竹林が新しい状況に対して論じるべき問題を何故論じなかったのかという問題は残る。書かれたものだけでなく書かれなかったものを重く見たい。とくに竹林は理念的な話が多く、実践の話をしない。したがって同時代の人の話が出てこない。その辺が事態をわかりにくくしている。
  • 出版社と関わっての良書推薦とは? →日本図書館協会の選定図書などのようなもの。戦前・戦後で、良書の基準は変わるけれど、構造は変わらない。図書館が出版社に働きかけてもっと良い本を出してくだいとお願いするというもの。
  • 同志社の資料は誰でも見られる? →公開されている。
  • 求職支援とか、いまこういう運動は必要か? →ギルドの意味はあるが、むしろ文化資源を扱う者同士、図書館に限らず広くMALUIで連携して行ったほうがいいというのが報告者の立場(会場からも複数の意見あり)。
  • 京都読書サークルの論文をあまり見たことが無いので知っている人がいたら是非教えて欲しい。
  • 話がどんどん広がってしまうけれど、非常に興味深いテーマなので。一つは、協会主力メンバーが新しいアメリカの図書館(CIE図書館)をどう見たかの問題。先行研究で批判されたCIE事例と今日の事例を組み合わせるとどういう占領期像が浮かんでくるのか。史料の掘り起こしは大変だと思うが知りたい。また、京都から近畿圏へ拡大したというお話があるが、大阪(府立)や神戸(市立)と比べたときにどうだったのか。そのなかでこそ、占領期京都の地域的特殊性の話は活きるように感じた。

今回は福島氏と江上氏の協力により初めてのUstream中継(生放送)にも取り組み、20名以上の視聴があった。
終了後は懇親会が催された。