2014年4月5日土曜日

第22回勉強会(2014年3月29日)報告

第22回勉強会(2014年3月29日)報告
「公立図書館司書検定試験」
日時:2014年3月29日(土) 14:00-17:00
会場:京都商工会議所 第二会議室
発表者:岡田大輔氏
参加者数:11名
当日の出席者によるtwitter上のつぶやきをまとめたものはこちら


0.発表のきっかけと目的
・もともとの関心の方向は歴史というより、司書養成のカリキュラムや試験制度。
・国立国会図書館デジタルコレクションで、『全国小学校教員試験問題及解答 尋常科正教員教育科』という明治時代 の資料を見つけた。興味深いのは模範解答が載っている点。解答があることにより出題の意図や、どういう答えが求められているかが分かる。しかしこの中に図書館に関する問題は出てこない。
・では図書館員の採用試験はどうだったのか?ということで、戦前に存在した「公立図書館司書検定試験」 を取り上げた。

1.公立図書館司書検定試験の概要
・採用試験ではなく資格試験。文部大臣の命ずる検定試験委員が実施し、願書は文部省に提出する。
・昭和12(1937)年2月から毎年1回、おそらく7回実施された。
・合格のメリットは試験規程や要項に明記されていないが、奏任官(管理職のようなもの)待遇の司書になる一つの方法であった 。
・1941年の公共図書館員の待遇を見ると奏任官で年俸1343円、判任官で月給72円、書記で月給48円。奏任官の待遇が特別良いわけではないが、ステータスは高いと考えられる。
・試験手数料は5円。先の待遇から見ても5円はそれほど気軽な金額ではない。
・学歴などの受験資格は定めず、誰でも受けることができた。合格者には小学校卒の人も、いわゆる外地出身者も、女性もいた。
・昭和12(1937)年に行われた第1回試験の内容。筆記試験が2月22日~2月25日、出題科目は国民道徳要領、国語・漢文、国史、外国語、図書館管理法、図書目録法、図書分類法、社会教育概説。筆記試験合格者に対して実地試験が課された。出願が32名、合格が18名。
・穴埋めや選択式はなく、ほとんどすべて論述問題。試験時間2-3 時間に対して3-4問といった分量。
・国語や漢文は現在の大学受験レベル、歴史は範囲が広くやや難しい。国民道徳要領は教育勅語等を丸暗記すれば答えられそう。実地試験では「ある地方の小図書館があり、時局柄予算も人員も減っているが、戦捷記念の館であるため閉館もできない。あなたならどう経営するか」といった口頭質問など。

2.試験問題についての考察
・戦前の図書館については、中央図書館制度導入による中央集権化、思想善導、読書会や読書指導といったイメージで従来は語られてきた。
・実際の試験問題について、「戦中」度数、「思想善導」度数を自分の感覚で採点し、グラフにしてみた。7回の試験を通じて、「戦中」度数は特に変化していない。
・しかし、この度数の定義はあいまいで、感覚の域を出ない。
・実際に試験内容を見ると、思想的に極端な偏りはあまり感じない。特に図書館の専門科目については、現代の採用試験で出てきても違和感のないようなものも多い 。


3.受験体験記
・青年図書館員聯盟『図書館研究』に掲載された司書検定試験学習法の記事がある。タイトルは『司書検定試験受験ノ栞』。のちに単行本化された。
・著者は山下栄。1907年、愛媛県今治市の生まれ。18歳で図書館での勤務をスタート。その後文部省図書館講習所を卒業し、24歳で大阪帝国大学付属図書館に勤務。31歳で公立図書館司書検定試験に合格。34歳で阪大を退職、日本貿易振興会付設日本貿易研究所に勤務。戦後は神戸市立図書館、尼崎市立図書館などに勤務し、60歳の時に武庫川女子大学教授となる。72歳で没。
・なお山下が阪大を退職した理由は、上司であった田中敬との衝突が原因とされる。目録の取り方等で対立した結果、田中の自宅に押し掛けて、自分の書いた論文の抜き刷りに辞表を挟んで「ぶち投げた」というエピソードが残る。
・「受験ノ栞」によれば、専門科目の検定委員:図書館管理法は今澤慈海、松本喜一、中田邦造。図書館目録法は太田栄次郎、田中敬。図書館分類法は加藤宗厚、田中敬。社会教育概説は不破祐俊。
・合格者はほぼ図書館講習所の出身者。しかも現役がほとんど。講習所を卒業しただけでは法律上「奏任官待遇の司書」にはなれなかったため、講習所の卒業試験のような意味合いもあったのかもしれない。ただし検定試験自体にそれほど魅力があったかは不明。
・なお『図書館雑誌』などの2次資料では、合格者に関する記述に矛盾が多く注意が必要。

4.司書検定試験が与えた影響
・試験合格によって奏任官待遇の司書になれる可能性があるという触れ込みだったが、実際に図書館雑誌等 に合格者が奏任待遇を得た等の記事は見当たらない。
・また検定試験が行われていた時期において、講習所修了/非修了、検定合格/非合格というグループに分けて、1955年の図書館員の名簿に載っている(=15年後にも図書館で働いている)人の割合を調査した 。結果としては、外部からの合格者に比べ講習所修了者の存率は高い傾向があるが、検定の合格有無には有意差なし。
・現行の図書館法により、公立図書館司書検定試験は廃止。すべての司書資格はいったんリセット。ただし現職者には5年間の猶予期間が設けられ、この間に司書講習を受けなければ失効。山下栄は1951年に司書講習を受けて資格を維持した。なお山下は同じ年に司書講習の講師も担当している。

5.質疑
・図書館講習所のカリキュラムと、この試験内容はどの程度合っていたのか。 →調べきれていない。当時の講習所での教科書の内容との関係を調べることなどが考えられる。
・講習所修了者の就職先を見ると、いわゆる公立図書館は少ない。公立図書館司書検定と銘打っていたが、実態は異なっていたものか。→ただし当時の「公立図書館」が現在の自治体立図書館と同じ概念であるかどうかは不明。
・試験規程では、対象者をどのように想定しているのか。→規程は官報に載っているが、費用や申込み方法など手続き的なことしか書いていない。
・試験問題から「思想善導」の意図を読み解くといったことは、厳密な言説分析が必要になるため非常に難しい。制度史や教育史、あるいは合格者ひとりひとりの人生を追うといった形の方が良いのでは。 →その通りだと思う。同時代の教員採用試験などさえもまだ見ていないので、いろいろ見てきちんとした指標が作れる可能性があるかから考えたい。
・青年図書館員聯盟は、この試験制度にはどう反応したのか。→非常に多く言及し、受験を勧めている。批判的ではない。
・当時の図書館員の採用試験に、そもそもペーパーテストはあったのか?→京都府の採用では何か書かせる試験があったはず。

当日の資料は、下記URLからダウンロード可能。(クリックするとダウンロードが行われます)
http://researchmap.jp/?action=cv_download_main&upload_id=100056

終了後、懇親会が行われた。