2014年10月9日木曜日

第24回勉強会(2014年9月21日)報告

第24回勉強会(2014年9月21日)報告
「京都府中央図書館における国民精神総動員文庫」
日時:2014年9月21日(日) 14:00-17:00
会場:京都商工会議所 第一会議室
発表者:齊藤涼氏
参加者数:9名
当日の出席者によるtwitter上のつぶやきをまとめたものはこちら

0.国民精神総動員文庫(以下、精動文庫)とは
・昭和13~15(1938-1940)年ごろ、日米開戦以前に道府県中央図書館や道府県立図書館の主導により行われた。日本精神、中国事情、農業など国策に寄与する資料を重点的に集めたもの。規模や形態は各地により異なる。もっと後の時期になると読書会等を中心とした思想統制が厳しくなっていくが、今回はその前の時期。
・先行研究として、小川剛氏、奥泉和久氏らの論文を参照した。

1.国民精神総動員文庫設置の経緯
・昭和12(1937)年7月に日中戦争開始。同年に国民精神総動員運動が開始される。この時点での図書館の動きは、本の特集を組む程度。
・昭和13(1938)年4月に国家総動員法公布。同年5月の中央図書館長会議で、文部省が巡回文庫のための資金提供を行う準備があると表明。戦争の長期化が見込まれたとが背景にあると思われる。
・同年9月には、購入資金350円と買うべき本の目録が各中央図書館に交付される。この金額は本でいうとだいたい200冊程度と思われ、小規模。

2.京都と大阪における活動の違い
・京都府中央図書館には、以前から貸出文庫が存在した。創設は明治36(1903)年、一回50冊で、府内の図書館、学校教育会、青年団や婦人会などの各種団体を対象。閲覧料は1冊1銭。これが精動文庫の運営モデルになったと考えられる。
・京都府中央図書館に設置された精動文庫は162タイトル。男女青年団の幹部や教職員など、青少年の指導者が対象。貸出文庫と併用も可能で、リクエスト制度や読後の感想文共有なども想定されていた。ただし当時府内の青年学校は400以上あり、数としてはとても足りなかったと思われる。
・一方、大阪府立中央図書館における精動文庫の状況。こちらは郡部町村が中心で、大阪市内は大阪市立図書館がサービスを実施していた。200冊を1単位として4単位、800冊を設置。精動文庫に一般読物を加えた数百冊を、対象地域に巡回させていた。
・京都府と大阪府の計画を比較すると、大阪府の方がより大規模で現実的。

3.京都府における「改良」
・昭和14(1939)年8月に文科省から、精動文庫への奨励金が出された。あわせて、タイトル数や冊数を増やし、広く巡回させるようにという指示も出された。選書の基として文部省編纂の『国民精神総動員巡回文庫目録』が配布される。
・これに基づき、京都府中央図書館では従来の精動文庫を改良。奨励金500円に地方費100円を加えた600円で、243タイトルを購入した。
・文部省の推薦目録と、改良後の京都府中央図書館精動文庫の目録とを比較。改良により、農業、工業、水産などのジャンルが増えている。食糧増産計画の影響とも思われる。項目が細分化され、地域の事情に合わせやすくなっている。
・内容のレベルによって2種類に分け、難解なものは巡回文庫、通俗卑近なものは貸出文庫に配合した。
・実際の利用はどうだったか。『京都府中央図書館報』では昭和15(1940)年6月に、府庁内軍人援護会に図書を貸し出している。文部省には既に巡回文庫に移行する旨の報告をしており、矛盾するとも見える。

4.精動文庫の行き詰まり
・昭和15(1940)年以降、図書館雑誌や京都府中央図書館報で精動文庫の話題が乗らなくなっていく。国民精神総動員運動自体が大政翼賛体制に組み込まれたためか。
・昭和14(1939)年刊行『図書時報』第1輯収録の伊藤治郎「岡山縣下圖書館視察記」では、岡山県の視察先で精動文庫を見て「恒久的なものにしたい」と述べている。もともと常設される想定のものではなかったのかもしれない。
・また同年の北信5県図書館大会における報告では、指定図書が難しすぎるため読書指導が必要であること、情報の陳腐化などの指摘がなされた。

5.まとめ
・国民精神総動員運動に乗じた図書館振興策として実施された。規模はそれほど大きくない。文部省からの推薦目録だけでなく各館で独自に選書された部分もあり、司書はただ指示に従った訳ではなく主体的に取り組んでいた。ただし実際の利用はそれほど盛んでなかったと思われる。
・図書館にとっての精動文庫の意義は、国家からの支援を勝ち得たこと、図書館が外に向けて出ていく機会となったこと、選書による職員のスキルアップなどが考えられるか。

6.質疑(主なもののみ、適宜まとめている)
・リクエスト制度も存在するなど、戦時中に思想統制のため作られた文庫というイメージよりも意外と柔軟だと感じた。
・つぎ込まれた350円という金額は少ないのでは。→規模としては大きくないが、それが全国的に行われたことに意味。
・当時の文部省大臣は荒木貞夫、帝国図書館長は松本喜一、京都府知事は鈴木敬一と赤松小寅。また当時の京都府中央図書館長は北畠貞顯。こうした人々の、個人的な傾向が政策に影響を及ぼしていた可能性も考えられる。
・発表者は350円を小規模としていたが、当時の受入冊数や予算規模の全体と比較するとどうか。→当時、京都府中央図書館の一般の貸出文庫は26000冊ほど。
・文部省編纂の目録を見ると、意外と特定の出版社に偏るようなことがなく、幅広い。一方で、吉川弘文館や法蔵館のような伝統的な出版社が入っていないこともある。
・昭和15年の京都府国民精神総動員文庫目録に含まれる『緋の蜘蛛』という本は現所蔵館が確認できなかったとのことだが、「日本の古本屋」ではヒットあり。15000円くらい。

終了後、懇親会が行われた。

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